匿名の知識人

─ジャン=ポール・サルトル

 

「『どんな作家を尊敬しているか』

そう聞かれた時、私の胸は高鳴った。

『ジャン=ポール・サルトル』

そう答えた時、私は眼に涙がにじむのをおぼえた。この一言をいうために、十年私は映画を作ってきたのではなかったか。監督になるための、映画をつくりつづけるための、あらゆる努力はこの瞬間のためにしてきたのではなかったか」。

大島渚

 

 二〇〇一年九月十一日以降、エドワード・サイードやノーム・チョムスキーらは、「知識人」として、ネオ・マッカーシズムに覆われていくアメリカ合衆国に対して、異議申し立てを続けている。彼らはヴォルテールやエミール・ゾラの系譜上にあり、「ショーペンハウアーの人間」(ニーチェ『反時代的考察』)として、社会の非寛容さを糾弾する。「ショーペンハウアーの人間」とは、ニーチェによれば、「ゲーテの人間」に欠けているメフィストフェレース的な「悪」を保持しているために、「ショーペンハウアー的人間像がわれわれを鼓舞してくれる」。「悪は否定であるから、悪を発見するためには、まず、あるいは少なくとも同時に、否定の対象となるものが見えていなければならない。()悪の認識は善の認識を前提する。しかし、善の予備的な直感は、冷たく無気力な観察ではありえない。冷たく無気力な観察は、事実は与えてくれても、価値は与えてくれないからだ。善を認識するためには、善を欲しなければならない。それゆえ、悪人は善を認識し、欲し、愛さなければならない。悪徳の最深部においてすら、善を欲し、善を愛することを一瞬たりともやめてはならない」(ジャン=ポール・サルトル『聖ジュネ』)。「ショーペンハウアー人間」は「ゲーテの人間」の「たんに観想すること」に、人間の自己自身に対する「誠実」の能力をつけ加えて持っている。「自己自身を認識された真理にいつでもその第一の犠牲として捧げ、どういう苦悩が自己の誠実から湧き出て来ざるをえないか」を見据え、それに従うことに生の本質的な意味を認める人間が「ショーペンハウアーの人間」である。しかし、この「ショーペンハウアーの人間」は、人間の諸矛盾を顕在化させてしまうために、悪意ある皮肉屋として疎んじられてしまう場合も少なくない。けれども、「ショーペンハウアーの人間」の態度はたんなる弱者の悪意ではない。「ショーペンハウアーの人間」の持つ「否定や破壊」、さらにそこから派生してくる「苦悩」をわが身に引き受けることを忘れない。「ショーペンハウアーの人間」は、言葉や思想をたんなる観想や調和の視座に貶めることなく、真に現実的かつ活動的なものにする。

 

ユーゴー ぼくが党に入ったのは、その正義が正しいからで、そうでなくなれば、ぼくは党を去ります。人間はといえば、ぼくが関心を持つのは、ありのままの人間ではなく、将来の人間です。

エドレル わたしはありのままの人間を愛している。下劣さや悪徳のたっぷりしみこんだ人間を愛している。……わたしにとっては、この世に人間が一人増えるか減るかが問題だ。人間は大切だからな。きみのことをわたしはよく知っているが、きみは破壊者だ。きみが人間を憎むのは、きみがきみ自身を憎んでいるからだ。きみの純粋さは死に似ている。きみの夢見る革命はわれわれの革命とは違う。きみは世の中を変えようとするのではなく、世の中をぶっ飛ばそうとしているのだ。

(サルトル『汚れた手』)

 

知識人は時代や社会によってその役割が異なっている。ジョン・キャロルは、一九七八年に発表した『知識人にもかかわらず(In Spite Of Intellectuals)』において、知識人を七つに類型している。第一の類型は「官僚(マンダリン)(Mandarin)」である。これは中国の宮廷官僚に由来し、権力者に最も近い文官であり、真理の探求よりも、法や儀礼の遵守を尊ぶ。次に、「技師 (Engineer)」があげられる。彼らはマキャベリやレーニンのような実務に能力を発揮する。第三の「チェス・プレーヤー(Chess Player)」は、ヨハン・フォン・ノイマンの如く、形式に執着し、混沌からある目的を引き出すために、知的活動に従事する。カール・マルクスに代表される「千年至福説信奉者(キリアスト)(Chiliast)」は来るべきユートピアを描き、社会変革の展望を語る。ジークムント・フロイトのように、第五の「シャーマン(Shaman)」は心身の治療から始まって、シャーマン的技術を使い、社会問題に発言する。第六の「ギャラハッド(Galahad)」はアーサー王伝説の中で、騎士ランスロットの息子であり、聖杯を見つける円卓の騎士現代の聖杯を捜し求めるマルティン・ハイデガーが典型である。最後に、すべての権威を破壊する懐疑論者としての「道化(Fool)」であるが、フリードリヒ・ニーチェが最も体現している。

知識人を考える際、ジャン=ポール・サルトルの名前を外すことはできない。サルトルは、際二次世界大戦後、最も影響力のあった「知識人」である。アンナ・ボスケッティは、『知識人の覇権』の中で、サルトルを「フランス知識人界の申し子」であり、その「完璧な作品」と定義している。実際、今でも東西冷戦と植民地解放運動の闘争に積極的に政治参加する「知識人」として、サルトルを描いた著作が刊行されている。アルジェリア戦争のとき、フランス軍を非難したサルトルを逮捕しようとした当局に対して、シャルル・ド・ゴール大統領は「ヴォルテールを逮捕などしてはならぬ」と命令しているが、確かに、彼は二十世紀のヴォルテールと見られている。サルトルはその時代のあらゆる矛盾を見出す。著作において寛容で、近くに困乏している人がいれば際限なく援助し、支持や反対の立場を主張するにも努力を惜しまない。サルトルは、ジョン・キャロルの類型では、第五番目の「シャーマン」と第七番目の「道化」の中間に位置するだろう。サイードやチョムスキーも、おそらく、同様であり、むしろ、現代の知識人の姿はサルトルを原型にしている。サルトル自身は、『知識人の擁護』の中で、ジョン・キャロルの「官僚」を権力に奉仕する「知的技術者」であり、「擬似知識人」であるだけでなく、「番犬」であると非難している。サルトルは、現代の知識人にとって、「仮定の父」(サルトル『言葉』)である。同時多発テロに始まる一連の出来事について、「『彼ならどう言うだろうか、今の彼ならどう言うだろうか』と自問する」(サルトル『アルベール・カミュへの追悼文』)

今、サルトルが生きていたら、インターネットを積極的に利用しているに違いない。サルトルの行動に、インターネットは極めて適している。サルトルはノート型のパソコンを手放さなかったであろう。ネットワークへの接続はコネクション型とコネクションレス型に分けられる。前者の代表は固定電話であり、後者は携帯電話であるが、サルトルは明らかにコネクションレス型である。忙しく、あちこちに顔を出しながら、世界中から寄せられる膨大な数のメールをそのラップトップPCで確認し、返信を書き、彼は寝る暇もないだろう。そこに見られるのはl’engagement mobileに挑むle philosopher mobileの姿である。

知識人の普遍性に関する議論は、肯定的であれ、否定的であれ、それがメディアに負っている点を見失っている場合が少なくない。プラトンの「哲学者」は知識を愛する人であっても、知識人ではない。知識人を可能にしたのはグーテンベルクの活版印刷術である。エラスムスはこのメディア革命を利用し、教会批判のキャンペーンを繰り広げている。「革命的思想は状況にある思想である。すなわちそれは抑圧に対して共同して反抗する限り、その被抑圧者の思想である。それは外側から作られ得るものではない。それが作られている場合、人はただ自己のうちに革命的運動を再現することによって、そしてこの哲学を生み出した状況から出発して考察することによって、この哲学を学ぶことができるだけである。支配階級出の哲学者たちの思想もまた実践だということに注意しなければならない」(サルトル『唯物論と革命』)。最初の知識人はヴォルテールではなく、むしろ、エラスムスやトマス・モアといったヒューマニストと認識する必要がある。デカルトのコギトもこれを背景に見出される。コギトは自己の記号化であり、記号化は活版印刷という文字の記号化、紙の記号化から導き出される。その印刷術は人に知られた名前、有名が信用をつくり、影響力を持つ世界をもたらしている。有名人をノードにしてネットワーク「文芸共和国」を設立する。啓蒙主義を隆盛に導いたのはそのフランス語を媒介にしたネットワークであり、啓蒙主義は知識人を人々により印象づける。その最大のスターは、言うまでもなく、ヴォルテールである。Ecrasez l’infme!”資本主義の勃興が出版を産業に拡大させ、知識人をさらに確立させる。産業革命に支えられた国民国家体制により、いささか貴族主義的なヴォルテールに代わり、サン・シモンのような官僚主義的な知識人が誕生し、その矛盾を補完するために、ゾラが登場する。サン・シモンとゾラは表裏一体の関係にある。出版産業が未熟な啓蒙時代では書簡の方が意義深いことが少なくないけれども、この頃ぁら雑誌や新聞、書籍が威力を発揮し始める。国民国家と資本主義において、知識人は最も機能している。

ところが、純然たるボランティアで運用されている「プロジェクト・グーテンベルク(http://www.gutenberg.net)」により、主たる英米文学の古典作品がデジタル化され、インターネットで利用できるようになっているように、インターネットによるメディア革命はグーテンベルク革命以来の認識を転倒している。「グーテンベルクの銀河系」(マーシャル・マクルーハン)が紙という物質の流通に支えられていたとすれば、電子メディアの社会は波の伝播によって構成される。この電子メディアは知識人の根拠を奪ってしまう。人に知られた名前が効力を喪失しているからである。「知識人 男性名詞、ドレフュス事件の時にパリで生まれ、二〇世紀の終わりごろに消滅した社会的・文化的カテゴリー。この語は〈普遍的なもの〉の没落囲碁は存続しなかった模様」(ベルナール=アンリ・レヴィ『知識人礼讃』)。一九七〇年前後、当局は非合法化したマオイストと連携したサルトルを逮捕しない戦術を取っている。彼らは、街頭で活動するマオイストを逮捕しても、その隣にいるサルトルには手を出さない。サルトルを特別扱いして、無力化させている。アウラは、「複製技術時代」(ヴァルター・ベンヤミン)において、効力を失ったというわけだ。合衆国内で、ネオ・マッカーシズムに異議を申し立てているのは知識人だけではない。彼らの発言はいつものことだと聞き流される反面、反戦のロゴ入りのシャツを着て登校しようとしたため、停学処分を下された女子高校生の方が話題になっている。異議申し立てが知識人の責務だとすれば、それはもう終わっている。別に、サイードやチョムスキーが侮られているわけではない。彼らのような知識人は、大統領選の際「ゼネレーションY(Generation-Y)」からラルフ・ネーダーが呼ばれていたように、「レトロ・クール(Retro Cool)」である。ジャン=フランソワ・リオタールは、『知識人の墓』において、知識人は「普遍的犠牲者」が現実に存在し、その人の擁護を通じて、意義のある価値を肯定するために、必要とされていたが、普遍性が基準となりえない現代においてはその歴史的役割を終えていると主張している。英語を媒介にしたネット社会では、活字メディア以上にホームページやEメール、掲示板、チャット上での匿名による主張の方が創造的であるとしても不思議ではない。近い将来、ネットでの会話は、同時進行で動くお互いの姿を映した画像でやりとりされると同時に、相互発信メディアは各所に設置されるパソコンや携帯電話、腕時計型で持ち歩けるものまで全域化され、なおかつ誰もがすぐに使えるほど簡便化される。各種の証明書やサインなどのマニュスクリプトの交換も、もっと直接的にできるようになることは間違いない。CGを用いたトリック撮影や仮装など隙間をぬったフェイク・テクニックも発達していくだろう。文字や声、写真、イラストといった断片的情報である以上、相手への想像力や依存度が膨らんでしまう匿名性は、今の相互発信メディアの過渡期的状況を示している。知識人は、この過渡的状況の下で、かつての影響力を失っている。

サルトルは、『知識人の擁護』において、知識人について次のように述べている。

 

知識人は、孤独の中でしか、彼の矛盾に満ちた状況を生きることができないのであり、その孤独とは、普段に「追放」の身でありながら、普段に大衆の側に立とうとする努力というとりわけ有益な孤独なのです。なぜならば、もしこの孤独から脱出しようとするとき、知識人は知識人でなくなってしまうのですから。知識人は最も役立ち得るのは、単称的普遍として、つまりたんなる学問の人としてではなく、以上述べた矛盾を生きる学問の人としてなのであり、この孤独、この「半追放」のような孤独の中でこそ、知識人は、彼が奉仕しようとする人々に最も接近することができるのです。

 

サルトルの「知識人」は、サルトル自身がそうであるように、「ソリトン(Soliton)」である。「現代になっていると、情報の伝達は波に支えられている」(森毅『円のつくる波』)。現代社会は波、それも非線形的な波の世界である。電子メディアを可能にする波の観点から、その死=不死を含めて、知識人の問題を捉え直す必要がある。サルトルの知識人の抱える健康的な「孤独」はソリトンという孤立波によりうまく説明できる。

ソリトンは、広い空間に渡って、エネルギーを失うことなく、伝播するパルス波であり、衝突しても壊れず、粒子的な振る舞いをする波の塊である。ソリトンは、JS・ラッセルが、一八三四年、エジンバラ郊外の運河で発見している。彼は山が一つだけの波、すなわち孤立波が水面を一キロメートル以上走り続けるのを観測する。ソリトンは通常の振動では媒質が線形な振動、すなわち単振動であるが、振幅が大きいと非線形の波となる。ソリトンは安定しており、衝突しても形が崩れず、しかも長距離を進む。孤立波が互いに遠く離れているときには、個々の孤立波は近似的には一定の形と速度を持つ進行波である。そのような二つの孤立波は近づくにつれ、次第に形を変え、最後には一個の波束に融合する。しかし、この波束は間もなく衝突前と同じ形・速度の孤立波に分裂する。「人間は過失を犯し、しかも同時に身に道理を持つときこそ孤独である」(サルトル『聖ジュネ』)。ラッセルの観測から約六十年後、DJ・コルテヴェークとH・ド・フリースが水面上の波に関する非線形の波動方程式KdV方程式を見出しているが、これには孤立波の解かある。一九五〇年に行われたエンリコ・フェルミとスタニスラウ・M・ウラムたちの数値解析以後、ソリトンの研究が盛んになっている。一九六五年、NJ・ザブンスキーとMD・クルスカルは、KdV方程式をコンピュータ−・シミュレーションした結果、複数の孤立波が衝突しても、形を変えず、粒子のように振舞うことを示し、それを「ソリトン」と命名している。物理現象を記述する方程式に非線形項がある場合、波は局在し、ソリトン型の解が存在する。ソリトンは非線形現象を理解する上で、極めて有効なモデルである。数量的な構成や変化が加法性や比例関係に基づいている場合を「線形(Linear)」、そうでないものを「非線形(Nonlinear)」と呼ぶ。線形では、関数の変数に具体的な数値を代入して数値計算を行うと、関数の値が決定できる。一方で、自然界の複雑な現象には非線形性が絡んでいる場合が多い。流体の粘性抵抗、圧縮、熱伝導、化学反応といった現象は非線形であることが少なくない。ソリトンの研究は非線形数学の中でも画期的な成果をあげた例の一つであり、さまざまな新しい数学的手法がここから生み出されている。非線形シュレーディンガー方程式のEソリトン、積分可能系のサイン−ゴルドン方程式のフラクソン・ソリトンがまずあげられる。「sine-Gordon 方程式」という言葉はユーモアである。相対論的場の理論の「Klein-Gordon 方程式」を捩っている通り、相対論的非線形方程式である。相対性理論では、光が波の振る舞いをする粒子であると説明されている。また、非線形結晶格子力学における戸田ソリトンやジョセフソン結合中の磁束の運動に見られるソリトンもよく知られている。ちなみに、統計力学においてソリトン形は非エルゴート的である。エルゴート性はエルゴート仮説に由来する概念であり、エルゴート仮説は、もともと統計力学の用語であって、時間平均は集団平均、すなわち位相平均に等しいとする仮説である。熱力学でも、エルゴート仮説は用いられ、アヴォガドロ数(NA=6.022x1023/mol)程度の分子数を対象とするので系の時間平均、すなわち各分子運動の時間的経過をとるのは困難であるから、その代わりに、集団平均、すなわち特定の時間における各分子の空間的位置をとって力学的量の観測値を計算し、これが正しいとする仮説として理解されている。流体力学やプラズマ物理学では、媒質の分散効果によって容易にソリトンが形成され、イオン音波や浅水波などにソリトンが発生する。ソリトンの安定性はモデル方程式の持つ非線形性と分散性の微妙な均衡に根ざしている。非線形性は孤立波をさらに集中させようとするが、分散性はそのような局在した波を分散させる効果を持つ。もしもこれらの拮抗する効果の一方が失われると、ソリトンは不安定になり、ついには消滅する。この点で、ソリトンは正弦波のような線形波とはまったく異なる。正弦波はソリトン現象のある種のモデル方程式では、むしろ、不安定でさえある。コンピューター・シミュレーションはそのような正弦波がすぐにソリトンの列に分裂することを示している。ほかにも、強磁性体や光学の分野で、ソリトンが観測されている。分散性の媒質での光の伝播、すなわち非線形光学における自己収束現象、屈折性結晶での光伝播における光ソリトンがある。光ファイバー・ケーブルを伝わる光ソリトンは日本のNTTやアメリカのAT&Tで研究が進み、実用化されれば、毎秒壱千億ビットもの光パルスを送れるようになる。ソリトンは今日のネット社会を支えるには、欠かすことができない現象である。

サルトルの「知識人」は非線形性と分離性に基づいている。知識人は孤独な一つの波、ソリトンである以上、いかなる問題と衝突しても、消滅せず、その声は遠くへ届く。後に言及するが、サルトルの議論は一般化できる特徴があるので、サルトルの知識人の理論は拡大される。それはサイバースペースにはもってこいだ。ネット社会は波の世界であり、知識人を特権化せず、民主化する。ある意味で、誰もが知識人の役割を担うようになる。「民主主義は権力の政治形態、ないしは権力の政治的形態というだけではなく、生そのものであり、生の形態であるように思われる。民主主義的に生きること、他のいかなるものでなく、そうした生の形態こそ、現在の私たちから見て人間たちの生き方になるべきだと思うね」(サルトル『いま、希望とは』)

ハイデガーに関する著作でも知られるヒューバート・ドレイファスは、『インターネットについて』の中で、こうしたネット社会を厳しく非難している。ドレイファスによれば、ネット上の情報は体系のない知識の羅列であり、その情報の検索がキー・ワードという純粋に形式的な一致によって行われ、意味を考慮しない以上、インターネットは利用者が求める必要かつ有効な情報を与えられない。確かに、「GIGO(Garbage In Garbage Out)」、すなわち「屑を入れれば、屑が出てくる」という言葉がコンピューターの世界にはある。さらに、インターネットによる教育は教える者と学ぶ者の相互現前ならびに学習へのリアルなアンガージュマンに欠ける。ドレイファスは、身体こそが他者と事物に対するリアリティの源あって、「現実的」リスクを伴った「真正」のアンガージュマンでなければ、人生にその意味を与えないと主張している。インターネットは「現実世界」のリアリティを根絶やすばかりではなく、「仮想世界」への匿名のアンガージュマンを介して、無関心=無差異の支配するニヒリズムに導いてしまう。ドレイファスは身体の現前する現実世界とネット上の仮想世界を対立させ、現実世界へのアンガージュマンを力説しながら、「あれかこれか(Either-Or)(ゼーレン・キルケゴール)を迫る。「大部分の哲学者にとって、自我は意識の《住人》である。ある人々は、自我が、《体験 Erlebnis》のただなかに、空虚な統一原理として形相的に現存するということを断言する。他の人々―大部分心理学者であるが―は、自我が、我々の心的生活の各契機の内部に、欲望や行為の中心として質料的に現存すると考えている。我々はここで、自我が、形相的にも質料的にも意識の内部にはないということ、自我は外部に、世界の中にあるということ、それは他者の自我と同様、世界の一存在であることを示そうと思う」(サルトル『自我の超越』)

ドレイファスは現実的なリスクを伴った真正のアンガージュマンによって、リスクのない匿名のネット・サーフィンを批判し、加えて、彼の真正のアンガージュマンを各自が自分の属する「コミュニティー」の中で責任を負うことへと結びつける。サイバースペースにはコミュニティーがなく、無責任だというわけだ。けれども、ある種の自己組織性が見られるLinuxは、知的所有権の概念や大企業主導の体系化された生産=流通=消費に対する重要な代替案を提示している。確かに、ネット上の技術者たちの共同作業には現実のリスクもないし、完成したソフトが特定の人物の名前を特権化することもない。だからと言って、ユーザーからのバグの報告を受けてソフトの改善に取り組む彼らに真正のアンガージュマンが欠けているわけでもない。Linuxは、その意味で、極めてサルトル的である。いかなるプログラムにも、クラッカーが他のコンピューターに侵入するのに利用するセキュリティー・ホールの存在の可能性がある。そのため、重要な情報はネットワーク・システムと連結しないのが一番であるが、開発では、プログラムを公開することによって、セキュリティー・ホールの問題を解決する流れになっている。旅客機の座席を予約するシステムのソフトウェアの命令は約二百万、ボーイング777をコントロールするソフトウェアの命令は約四百万であるのに対して、ウィンドウズ95を構成する命令の総数は約一千万もある。OSのバグを見つけ出すのは製作者だけでは不可能であるから、ソースを公開し第三者に問題点を指摘してもらい、プログラムを修正するようにしている。ところが、マイクロソフト社はOSのソースをほとんど公開していないため、セキュリティー・ホールの問題に十分に対応できていない。コンピューターを支える重要な数学がジョージ・ブールが考案したブール代数であり、彼らのコミュニティーはそれを体現している。Linuxは集団的匿名であって、それこそがソリトンである。集団的匿名は非線形であるから、要素に還元できない。サルトルはしばしば「全体性」や「全体化」について語っている。彼は、『家の馬鹿息子』の中で、フローベールについてわれわれが知ることができるのは「われわれの利用することのできる彼についての情報の全体化」だと言っている。この「情報の全体化」はデータベースと言い換えられる。散文における「アンガージュマン」が特殊な対象について語りながら、つねに「全体化」に向うこととサルトルが『文学とは何か』で言うとき、「全体化」は非線形の把握の試みである。「いろんな材料と多様な考えから、自分なりの結論にいたろうとする過程を共有できる。それが、この時代の信頼というもの。そのことによって、受け手も送り手と同様に成長できる。つまり、この時代の信頼とは双方向的な相互信頼なのである」(森毅『この時代の信頼』)。所有権の争いを欠いたネット上で差異を生み出す原動力となっているのが、「ただの楽しみ」(リーナス・トーバルズ)である。ヨハン・フォン・ノイマンが、第一、ノイマン型コンピューターの特許を放棄していたからこそ、コンピューターが普及したのであり、セールスマンは紺のスーツを着用すべきという社内規定により「ビッグ・ブルー(Big Blue)」と呼ばれるIBMのコンピューター市場における独占を崩したのは、ゴリアテがダビデに岩一つで倒されたように、長髪に、ジーンズ、Tシャツの二人のスティーヴ、スティーヴ・ジョブス=スティーヴ・ヴォズニアックが設立したアップル社が販売したパソコンであることを忘れてはならない。彼らはサルトルが好意的だった六八年世代に属している。しかも、アンガージュマンの資格は取り払われている。現実世界と仮想世界は決定不能性にある現在、サイバースペース上で、「世界がもし一〇〇人の村だったら(If the world were a village of 100 people)」という民話が流通し、増殖している。このサイバー民話はA Book About World’s Peopleというサブタイトルで出版もされている。驚くべきことに、ネットとパソコンを使いこなし、蓄積した情報を再構成した小学生の自由研究の中には、大学生の卒業論文を凌ぐものさえある。「私は手をのばしてブドウの一房をとろうとする。ところが、手のとどかないところにあるので、とることができ ない。私は肩をそびやかし、手をおろして『あれは青すぎるな』とつぶやいて立ち去る」(サルトル『情動論素描』)

そもそも表現の自由は匿名性と密接な関係にある。表現の自由は合衆国の歴史、すなわち成文憲法の歴史よりも古い。ニューヨークの新聞発行人ジョン・ピーター・ゼンガーは、一七三五年、ニューヨーク植民地総督ウィリアム・コスビーを批判する記事を掲載したため、コスビーから訴えられたが、匿名のニュース・ソースを明かすことを拒否したものの、ゼンガーは、最終的に、勝訴する。「政治、それは抽象的である」(サルトル『植民地主義は一つの体制である』)。また、リチャード・ニクソン合衆国大統領を辞任に追い込むきっかけとなった匿名の情報提供者「ディープ・スロート(The Deep Throat)」は、二〇〇五年五月、マーク・フェルト元FBI副長官と判明したものの、長年正体不明である。もっとも、合衆国ではこの匿名報道が、ジョ−ジ・W・ブッシュ政権下、問題視され、二〇〇五年七月六日、CIA工作員名簿漏洩疑惑をめぐって『ニューヨーク・タイムズ』紙のジュディス・ミラー記者が収監されている。一九九八年、イギリスでは、「公益(Public Interest)」に適う限り、「内部告発者(Whistle Blower)」を保護する法律「公共利益開示法」が制定されている。「秘密投票というのは、嘘をつくことの制度化である」(森毅『裏切りへの期待』)匿名は嘘の制度化である。表現の自由は嘘と不可分にある。デカルトのコギトにはこうした意味がある。コギトが近代であるとすれば、信じるではなく、疑いを通じて、主体性が確立される。制度化された嘘において、疑いは不可欠である。匿名の否定は表現の自由の否定へとつながる。不完全性定理と嘘つきのパラドックスは本質的には違うのだが、クルト・ゲーデルが不完全性定理を理解するための比喩として嘘つきのパラドックスを導入したことによって、二十世紀を把握する際の比喩となっている。”Ask no questions and you’ll hear no lies”(James Joyce “Ulysses”).

 

ユーゴー 党に入って、初めて、ぼくは息がつけたんです。生まれて、初めて、ぼくは他人に嘘をつかない人間を見た。誰もが信頼しあっていて、最下級の闘士でさえ、指導者の命令が自分の心底からの意思を明らかにするものだと感じることができたのです。……

エドレル きみは何の話をしているんだ。

ユーゴー われわれの党の話です。

エドレル われわれの党だって。党にはいつも少しばかり嘘があったよ。他と同じようにね。ユーゴー、きみは嘘を言われたことはないのか、嘘をついたことはないのか、今この瞬間嘘をついていないと言えるのかね。

ユーゴー ぼくは同志に嘘はつかなかった。ぼくは……。人間を欺くほど軽蔑しているんだったら、人間の解放への戦いなど何になるんです。

エドレル わたしは必要ならば嘘をつく。しかし、誰も軽蔑はしない。嘘はわたしが発明したんじゃない。それは階級社会の生み出したもので、われわれは、みんな、生まれながらにそれを引き継いでいるんだ。嘘をつかないようにしたって、嘘は廃止できない。廃止するには、階級消滅のためのあらゆる手段を用いることが必要だ。

ユーゴー すべての手段がいいとは限りません。

エドレル 効果のある手段はすべていいのだ。

(サルトル『汚れた手』)

 

情報社会において、真実という権威はない。情報は真実と虚偽の決定不能性に置かれている。コミュニケーションにおける真偽の混在はESS理論からも導き出される。「進化的に安定な戦略(Evolutionarily Stable Strategy: ESS)」は、一つの個体群において、ある行動様式がよく見られ、その他のいかなる戦略もこれに対抗できない場合を指す。この「戦略」は特定の状況下でいかに行動すべきかが、あらかじめその生物にプログラムされている行動様式である。一九七三年、イギリスの生物学者メイナード・スミスは、ゲーム理論を用いて、動物が闘いを抑制する理由をESSとして説明している。スミスは「タカ戦略」と「ハト戦略」という二つの戦略を提起する。このタカとハトは、同種の個体がとる行動上の戦略を指す比喩であって、「タカ戦略(Hawk Strategy)」は全力で戦うこと、「ハト戦略(Dove Strategy)」は手加減して戦うことをそれぞれ意味する。ハト戦略もタカ戦略も進化的に安定となることはなく、個体群は自然選択によってタカとハトが一定の率で混在した「混合ESS」となる。それはタカ戦略とハト戦略の利益が等しくなり、個体数の割合がタカが五八%、ハトが四二%という配分の平衡状態に達する。平衡状態となった個体群ではタカが一〇〇%ではないため、ある程度の闘争の抑制が見られることになる。ESS理論が最もうまく該当するのは、ある戦略のもたらす利益が個体群におけるその戦略の頻度に左右される場合、すなわち個体群において一般的な戦略が不利となり、稀な戦略が有利となる場合である。大部分の個体がどの戦略を採用しているかによって最適戦略が決定する場合にESSは有効となる。闘争はその一例である。ビル・クリントン政権で国防次官補を務めたジョセフ・ナイは、二〇〇二年から始まったイラクに対する国際社会の動向について、「タカ派でもハト派でもない、フクロウ派の必要性を私は唱えている。知恵の象徴といわれるフクロウは、タカのように『多国間の外交など時間がかかって煩わしい』とは言わないし。ハトのように武力行使を頭から否定しない」と述べている。タカ戦略でも、ハト戦略でもなく、「フクロウ戦略(Owl Strategy)」こそが真にESSを実現するのである。また、個体群における性別分布もESSの一つである。希少な性に属するほうが個体にとっては有利と考えられるので、雌雄の比率は最終的にフィフティー=フィフティーの平衡状態に到達する。真実が正しく、虚偽が悪だというわけではない。真偽において重要なのは配置ということになる。情報社会における信用は情報をこうした決定不能として認識することである。「個別情報にそれほどの力があると思わない。それよりは、その情報を組みあわせて判断の構図を作ることが問題である。情報の理論というのは、まだ個別情報の段階であって、配置の構図におよんでいない。エントロピーというのは、エネルギーのような物質的量ではなくて、配置にかかわる概念のはずなのに」(森毅『エントロピーの世紀』)。現在のキーボードのキーの配列は、十九世紀末に、ライフルで御馴染みのレミントン商会が新規事業として始めたタイプライターのキーボードの配列に由来する。これはキーボードの上段のキーの配列から「QWERTY」と呼ばれている。レミントン商会はキーを速く打てないようにするため、この配置を考案している。と言うのも、タイプライターのキー速く叩くと、先端に活字のついたバーがぶつかってしまう危険性があったからである。このように情報社会は「配置」の社会であり、唯心論でも、唯物論でもなく、配置論的な認識に変換してなければならない。

 ドレイファスの発想とは違う方向から、この匿名社会を規制しようという動きが強まっている。それに対して、スタンフォード大学の法学教授ローレンス・レッシグは、『CODE――インターネットの合法・違法・プライバシー』において、ネット・ユーザーに向けて、サルトルばりに、「いま怒らなければ、手に負えなくなる」と訴えようと書いている。彼は「コードは法だ」と言っている。コード、すなわちプログラムやアーキテクチャーが、成文法と同等以上に、ネットを規定するのであり、コードへの民主的な監視とコントロールが必要である。ジョージ・オーウェルは、『一九八四』の中で、”Big brother is watching you”と書いているが、ネット社会においては、”Bit brother is watching you”である。警察庁の盗聴装置のプログラムもコードに含まれる点を念頭に置けば、民主的な監視とコントロールを怠ってはならない。レッシグは、また、デジタル技術を理解し利用している若い世代が、政治に無関心であることを憂えている。自由主義論者の「ネチズン」はしばしば「政治的に無力」である。「彼らは時間を無駄にするべきではないと考え、このような問題には関わらない」。ユーザーだけでなく、欧州もずっと「受け身」の姿勢で、合衆国に世界的な著作権法の主導権を与えてしまい、ネットの分散性の意義を危うくさせている。「じゃ、これが地獄なのか。そうだとは思わなかった。……二人とも覚えているだろう。硫黄の匂い、火あぶり台、焼き網なんか要るものか。地獄とは他者のことだ」(サルトル『出口なし』)

CODE』は四部構成がとられている。第一部はサイバー空間の法律、すなわち「コード」がどのように統制と規制を行なうのかという問題提起、第二部はコードが可能にする複雑かつ多様な様相と選択、第三部はサイバースペースでの価値体系と選択,第四部は直面している問題とそれに対する対応となっている。AOLの実例を筆頭に、実名で参加し討論する法律家向けネット、仮名のネット上のキャラクターで議論する利用者の振る舞い、運営者の対応やネットの裏側の仕組みの比較、知的財産、電子メールやボイスメールとプライバシーやウェブ検閲などの問題、ネット社会で基本となる表現や言論の自由と検閲、フィルタリングの議論、ハッカーやクラッカーの比較といった現在から将来にかけて技術や考え方の変化に対応して予想される点を論議している。

インターネット上に広がるバーチャルなサイバースペースは、レッシグによれば、「それを作り上げた人たちの価値観の結果」であるから、本来、自由な性格を持っている。「ネットの中の重要な価値観は、当初、表現の自由であり、プライバシーの保護であり、情報の自由な交換だった。その価値観に基づいたネットワークのアーキテクチャーが自由を保証した」。表現の自由を保障するため、匿名性が尊重され、発言者が誰か、またどこにいるかを容易には特定できないようになっており、「サイバー空間がどんなに変化しても、自由な空間であることは変わらないと思っていた」。しかし、こうした構造は「ネットの固有の特徴ではなく」、簡単にくつがえせる。コードを変えれば、匿名意見の発信元を突きとめたり、個人情報を吸い上げたりすることが、あっという間に、できてしまう。完全な匿名性は、現在のネット社会では、不可能であり、手間隙はかかるものの、ダミーのコンピューターを利用して、システムに侵入するクラッカーも特定できる。「だから、商業利用が盛んになると、サイバー空間の構造は急激に変化した。企業がユーザー情報を手に入れやすく、政府が管理しやすいものになってきた」。ネットを通じた匿名の犯罪の増加が規制の口実になっている。ネットの匿名を利用した最も有名な事件の一つに、「ドクター・キリコ事件」があげられるだろう。もともとドクター・キリコは、ジャック・キボキアン医師のように、手塚治虫の『ブラック・ジャック』に登場する安楽死を幇助する医師である。ドクター・キリコは、「ドクター・キリコの診察室」というサイトを開いて、毒物や睡眠薬の効能や販売を告知し、八人に青酸カリを宅配便で送り、うち一人の女性が、一九九八年末にその薬で自殺している。一九九九年一月に自殺幇助罪の容疑者として「草壁竜次」が割り出されたものの、一九九八年、すなわちその前年の十二月十五日に、彼は服毒自殺している。また、Yahoo!オークションがインターネット上で最も流通が活発なサイトの一つに数えられている一方で、盗品売買や詐欺といったトラブルに対処するため、個別の取引相手が信頼できるかどうかの判断材料として、利用者の取引履歴と評価を公開している。Yahoo!オークションに限らず、システムへの信頼を高め、ユーザーに余計な心配をかけないように個人情報を管理するというのが、ネットビジネス全体の傾向である。マイクロソフト社の提唱する「.net構想」はその典型例である。しかし、ネットによる違法な取引は国家や法の目を盗んで行なうことができるからだというのは偏見にすぎない。なるほどネット犯罪とその防御は、アメリカとアルカイーダの戦争のように、非対称戦である。攻める側は一人で十分だが、守る側には多くの人手と莫大な資金が要求される。レッシグは、現行のサイバー空間も過渡的であって、コードの規制、すなわちパスワードやデジタル署名などの障壁を持ち込んでいくことで、少なくとも近い将来には間違いなく、この種の違法が「完全に」駆逐できると主張する。暗号が解読できたときには、そのデータの必要性の効力が失効しているように、暗号解読が理論的ではなく、現実的に不可能であればよい。現段階では、完璧な暗号アルゴリズムはありえないため、開発者はアルゴリズムを公開し、第三者にセキュリティー・ホールを発見してもらっている。Yahoo!オークションで個人情報の管理が始まったことで、安全なオークションができるようになったと喜んではいられない。ネット社会において、プライバシー情報の管理の許容範囲を問題にしなければならない。GPS携帯を便利であるとしても、通信事業者が位置情報を提供するという行為は正当化できるわけではない。想像以上にコードによる管理が進でおり、現実世界にも大きな影響を与え始めている。レッシグは、『CODE』の日本語版の序文の中で、「わたしの議論は過去二年で強化されるばかりだった。()わたしが理解していなかったのは、ハリウッドの弁護士たちがこんなに急速に法廷に圧力をかけて、このコントロールの新しいアーキテクチャーを受け入れさせるか、ということだった。そして法廷がハリウッドに、こんなにすぐに望み通りのものを与えるとも思っていなかった」と嘆いている。「インターネットは、既存の法律が追いつかないほどのスピードで変化し、国境を超えて規制を逃れることができるので、各国の規制は無意味になる」は幻想にすぎない。政府がナプスターを規制したら、ナプスターはそのサイトを著作権条約に入っていないトンガに移してNapster.to.coとすればいいし、アマゾンの売り上げに消費税がかかるなら、サイトをカリブ海のタックス・ヘイブンに移せばよい。だが、こういった対応策は実際には起こらず、ナプスターは苦境に追いこまれてしまう。カジノはカリブ海でもできるが、ナスダックに上場するような商売は困難である。ナプスターがトンガにサイトを移しても、運用が合衆国で行われている限り、合衆国の著作権法が適用される。それを避けるには、会社全体をトンガに移さなければならないが、租税回避には労力を惜しまない金融界でも、そこまで全面的な資本逃避は起こっていない。著作権を特許権や所有権と混同してはならない。著作権法のみならず、ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー裁判や鑑真美術の裁判といった数々の判例によって、著作権は定義されている。特許は数多くの企業や開発者を金持ちにしてくれたが、事情が変わりつつある。青色発光ダイオード訴訟が教えてくれた通り、日本では開発者が相当の報酬を受けとることは稀である。と言うのも、日本企業は自社で開発するよりも、基本特許を海外から購入し、それを応用して製品化して成長してきたため、独創的な技術者を優遇する必要がなかったからである。戦後の日本の経済発展はそういった開発コストとリスクを抑えて可能になっている。そこで、海外の企業は技術移転に慎重になったのみならず、国際競争力のある技術に関しては、あえて特許をとらずに、非公開に徹する方針をとっている。また、一つの特許によって製品化が実現すると言うよりも、複数の特許の組み合わせが不可欠になっている。そのため、多数の特許を保有し、それを他社の特許と交換する「クロスライセン」が普及しつつある。ライセンスを購入できず、開発しようにも、技術者に十分な報酬を払わない状況が続けば、人材が海外に流出しかねない。為政者が、印刷術が発展してくると、書物を特許権の範疇にあるとして、検閲してきたように、著作権は、本来、国家権力による保護になじまない。著作権があたかも特許権や所有権と同一の権利であるという誤解が流布し、著作権をめぐる議論を混乱に陥らせている。ヴァーチャルは効果としての現実を意味しており、ヴァーチャルはリアルの類義語である。インターネットは、その「仮想世界」の上で、ネットによってリンクされる「現実世界」において確実にリアリティーを変化させている反面、「仮想世界」と「現実世界」の「接点」の部分をつけば、サイバースペースを規制する方法はいくらでもある。ナプスター裁判に見られるように、政府や大企業は、インターネットに追いつき、その包囲網を構築しつつある。「一九九九年に『CODE』を書いた時に予想した以上のスピードで規制が進んでいる。いまやネットの『自由』とは、はるか昔の思い出に過ぎなくなった」。

レッシグは、二〇〇一年十一月、ダブリンで開催されたダークライト・デジタル映画祭で講演を行っている。彼は、合衆国の著作権法では、作品の管理を「固定化と集中化」が進む企業集団の手に委ねていると主張する。五つのレコード会社が音楽流通の八五%を独占している。その上、著作権法によって著作物の「二次的利用」が制限されているので、許可がなければ、著作権のある作品をベースに新たな作品を制作できない。レッシグによれば、「著作権所有者がそれ以降の文化形成を規定する」以上、これによって文化の進展が根本的に変容している。しかも、この規制は技術革新まで妨げている。プログラム開発者が、リスペクトを持った上で、既存のコードを受け継ぎ、それを改良して新たなコードを生み出す古くからの慣行に倣うことが不可能になっている。

所有という概念は、グーテンベルクの世界において、可能になっている。けれども、情報は配置であり、所有することはできない。音楽や出版、映画などの業界に属する企業は、アーティストに対して、作品の著作権を引き渡すよう要求する。ダークライト映画祭で、電子フロンティア財団(EFF)のジョン・ペリー・バーローも、同じく、「子供たちは自分の文化を自分のものにできない」と語る。レッシグによれば、企業が、著作権を所有する作品について、すべてを商業利用可能な状態で維持することに関心を持たないため、結果的に著作物がただ消滅してしまうのは憂慮すべき問題である。そのような作品は、「ブラックホールに落ちて、誰も手が届かないものになってしまう」。アナログ・レコードからCD化されなかった作品は言うまでもなく、レコード会社が倒産したり、その事業から撤退したり、売れないと判断して廃盤にしてしまったために、手に入れることが非常に困難な作品も少なくない。著作権をめぐる議論は文化のアーカイブ並びに創造性の促進、アーティストの経済的保障、企業の利益が混乱している。著作権を保護しなければ楽をして儲ける奴がいるという危惧と著作権のために楽をして儲けている奴がいるという意見がいずれも根拠に基づいて主張されている。おそらく両者とも正しい。もっとも、アーカイブの利用という点は、そこから、排除されている。驚くべきことに、文学の基本的文献にあたる音楽作品でさえ入手困難になっている。テレビやラジオのBGMとして、頻繁に使われている立花ハジメの『H』・『Hm』、リアル・フィッシュの『天国一大きなバンド(A Very Big Band In Heaven)』・『テナン』・『4』、水族館オーケストラ他によるオムニバス・アルバム『陽気な水族館員たち』、Soft Verdict”Struggle For Pressure”などのアルバムもほぼ入手不可能も状態である。音源があるのだから、廃盤状態にある作品をオンデマンドとして、アーティストが団体を結成して提供するくらいは今でもできるだろう。著作権法のため、文化が死に絶え、世界の歴史的知的財産が失われて、「著作権至上主義の時代は、文化史の巨大な空白期となるだろう」。さらに、ベルファスト在住の映画プロデューサーで、メディア企業のバンディジタル社に所属するポール・ラーガンは、デジタル映画製作者に出資する組織は、作品の著作権を要求するが、最初の上映を行ったきり、二度と上映しないこともあると糾弾する。「著作権がカギ」であり、手放せば作品はただ葬られてしまう。しかも、古い映画や書籍、音楽といった文化的作品の利用にとって、もう一つ脅威となるのは、著作権を所有していた企業が廃業する場合、著作権の帰属を確定するのが困難、あるいは不可能になってしまう点である。レッシグによると、著作権が保護される期間は、一世紀前には十四年間だったものが、現在では作者の死後七十年までに引き伸ばされ、著作権は大企業が市場における支配権を無制限に延長するための道具になっている。『ホワイト・クリスマス』で知られる作曲家アービング・バーリンの楽曲は、発表後百四十年も著作権で保護されてしまう。だが、レッシグは、ビジネス界において著作権を「ため込んでいる人々」に対抗し、著作権を回避する新しい技術、ピアツーピア(P2P)通信プログラムなどを使用する闘争が進行中だと指摘する。画家や音楽家、作家、プログラマーのために著作権が存在するという理屈は悪質なプロパガンダでしかない。暴力団がアイドル歌手の写真を当事者に無断で販売し、資金源にしていることに現状の著作権法では十分に対応しきれない。一九九八年に成立した連邦法、いわゆるデジタル・ミレニアム著作権法は「作者を守るためのものではなく、莫大な著作権を所有する者の利益を代弁するもの」にすぎない。現在では、著作権法によって著作物の「二次的利用」が制限されているので、文化の進展が根本的に変わってしまっている。なぜなら、「著作権所有者がそれ以降の文化形成を規定する」からだ。レッシグはデジタル技術やインターネット技術を利用することで、より多様で開かれた文化を作り出すことができる代替案を編み出せないかと考えている。「デジタル製作法とインターネットがあれば、状況は一変する可能性がある。これによって、以前よりもはるかに多様な方法で、創造活動が行なわれ、作品が流通するかもしれない」のであり、このような状況は、「文化とはかくあるべきという偏狭なイメージに依存しない文化を作り出せる」だろう。アーティストが自分の作品をこれまで以上に自由に管理できるようなオープンなビジネス・スタイルがあれば、中央集権的な独占企業ではなく、「多様で、競争が活発な産業」が生まれる。P2P通信やファイル交換プログラムといった新しい技術は、著作権法に対する新たな見方をもたらし、流通を大きく変革する可能性があるとバーローもレッシグも口を揃える。フリーネットの出資者でもあるイアン・クラークは、アーティストが作品を配信して、視聴者を獲得し、作品を販売するという一連の過程をフリーネットが支援するようになることを願っている。しかし、クラークは、ナプスターやグヌーテラ、ファーストトラックと同じように、このプログラムにも圧力がかかる可能性を認めている。「技術を駆使すれば、通信の自由は確保できると信じている」としつつも、クラークは「フリーネットが禁止される可能性は確かにある。だが問題は、果たしてそれを強制できるかどうかだ」と訴える。レッシグは、既存の著作権法を回避するだけの目的でファイル交換プログラムを利用することは、アーティストに真の自由をもたらさないと断言する。と言うのも、「自由とは、それが現実的な選択肢となって、はじめて本当のものとなる」のであり、「絶えざる訴訟のテロリズム」にさらされる破壊的な戦術を意味するものではないからである。レッシグもフリーネットが「十分に大きく成長すれば」法的制裁を受けると見ている。体制が変わる可能性は低い。企業は巨大な力を保有しており、「哺乳類の登場に対する恐竜の生き残り」を図るために、あらゆる手段を講ずるだろうからだ。「選択は、それが行なわれるかぎり、他の選択を可能なものとして指し示す。()他の選択の可能性は、私の選択、したがって私の存在の不条理性として表現されるものである。かくして、私の自由は私の自由を蝕む」(サルトル『存在と無』)

 サルトルはこうしたネット社会を体験することなく、この世を去っている。ただ、少なくともサルトルはポップ・カルチャーには巻きこまれている。今日、デモに参加し、アジ演説をするだけがアンガージュマンではない。アンガージュマンには、電子メディアをうまく使いこなせなければならない。スティングやボノといったポップ・スターの方が知識人よりも反動的な動きに抵抗し、一般への影響力があるのも当然である。スポーツや音楽、映画で活躍しているメディア・スターの方がかつての知識人の役割を果たしている。モハメド・アリの闘争を認めないものはいないだろう。サルトルは、一般に、こうしたポップ・スターの一人として受容されていた傾向もあり、それが現代にも通じるサルトルの意義である。「『嘔吐』は私を去らなかったし、近いうちに去るだろうとも思わない。しかし、私はもはや『嘔吐』に苦しみはしない。それは病気でも一時の咳きこみでもない。それは私自身なのだ」(サルトル『嘔吐』)

メディア・スターとしてのサルトルは、現在に至るまで、あまり考察の対象とされていない。ベルナール=アンリ・レヴィの『サルトルの世紀』を代表に、晩年の姿をクローズアップして、サルトルを非左翼的、もしくは非ヒューマニズム的知識人として扱おうとする動きがある。彼は、「哲学的調査」と称する『サルトルの世紀』の中で、アンドレ・ジッドへの信奉を完全に放棄する一方で、通暁するアンリ・ベルクソンの哲学からすっかり離れて、ついにエドムント・フッサールとマルティン・ハイデカーに至ったサルトルの知的変遷を描いている。しかし、晩年のサルットルはアンガージュマンにおけるメディア・カルチャーの重要性を吐露しており、それを見逃してはならない。サルトルは、一九八〇年三月、週刊誌『ル・ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール』に三回に渡って『いま、希望とは』というペニィ・レヴィとの対談を発表している。サルトルは、一九七三年六月、失明し、執筆・政治活動の一線から撤退せざるを得なくなり、一九八〇年四月十五日、肺水腫のため、七十四歳で亡くなる。『いま、希望とは』は、そのため、サルトルの遺言とさえ言われている。レイモン・アロンは「あれはサルトルの作品ではないと思う。()あそこでは、サルトルはかなり良識的だが、サルトルはこれまで良識的であったことはない。彼はつねに常軌を逸した、過激な人間だった」という発言をサルトルを追悼するテレビ番組で行っている。またシモーヌ・ド・ボーヴォワールは、サルトルの死後に発表した著作『別れの儀式』の中で、この対談におけるサルトルは「サルトルではなかった」と先のアロンの発言を援用している。「心配するな。おれはくじけやしない。他に愛しようがないから、おれはあの連中の反感をかきたてよう。他に服従しようがないから、命令を下す。他にみんなと一緒にいる方法がないから、頭上に空っぽの天を抱いて一人ぼっちでいよう。なすべき戦いがある。やりぬくのだ」(サルトル『悪魔と神』)

 サルトルは、『いま、希望とは』において、「希望」について次のように語っている。

 

希望というのは人間の一部をなす、と私は考える。人間行動は超越的なんだよ。人間行動はいつでも現在から出発して未来の対象を狙う。われわれは現在の中でその行動を考え、これを実現しようと努めるのだが、人間行動はその目的、その実現を未来に置く。そして行動する仕方のうちに希望が存在するんだよ。つまり、実現されるべきものとして目的を設定するという事実そのものがね。

 

とにかく、世界は醜く不正で希望がないように見える。といったことがこうした世界の中で死のうとしている老人の静かな絶望さ。だがまさしくね、私はこれに抵抗し希望のなかで死んでゆくだろう。この希望、これをつくりださなくてはね。

 

 サルトルは、「良識的」に、「希望」を一般的な意味で使っている。ただ漠然とした曖昧な「希望」が「実現されるべき」だとサルトルは主張している。サルトルの旧友にしてみれば、こうした希望的観測はかつてのラディカリズムと矛盾するというわけだ。『存在と無』の中でサルトルは不安や絶望を執拗に語っていたのに、『いま、希望とは』におけるサルトルの発言は軟弱で曖昧なものでしかない。アンドレ・グリュックスマンは、『歴史への責任』において、『いま、希望とは』について、「完全に盲目になり、過去の自分の著作にあたってみるのにさえ他人の目や他人の意識の助けを借りなければならないといったような状況の中で、サルトルが西欧の歴史、特に二〇世紀の歴史を全面的に考え直そうとし、この歴史をこれまでに生起した破局──とりわけ左翼の破局──という新しい光の下で思考しようとする大変な努力」と評価している。

 サルトルは、『いま、希望とは』において、ラディカルについて次のように述べている。

 

私の場合、徹底性は左翼的態度の本質的要素だといつも思われるんだ。もしも私たちが徹底性を排除するなら、左翼をくたばらせることにかなり貢献することになる。他方、これは私も認めることだが、徹底性は袋小路に通じている。言い換えればこうだ。一つの行動はいつでもその他の行動に囲まれており、その他の行動というのは、もちろんこの行動を変えるようにできているわけで、この事実を考慮に入れないで、これこれの行動は徹底的であらねばならない、そのぎりぎりの帰結まで展開されねばならないと主張するなら、私たちは馬鹿げたことを言うことになる。()かつての私たちはそう言ってきたわけだが、それは間違っていたことを認めておく必要がある。()徹底性はこう言ってよければ、追求される目的と言うよりは、この目的を追求しようとする意図ということになるだろう。カント的倫理ならばそう言っただろうが、根本にあるのは意図であり、意図こそ徹底的でなければならない。

 

 サルトルが自己批判しているように、従来のラディカリズムは過渡期にすぎない。ラディカルであらねばならないのは「意図」であって、「目的」や「行動」ではない。「意図」はinvisibleである。「意図」は「友愛」を指し、「友愛」の実現の「意図」が「徹底的でなければならない」。それには倫理が必要になる。「もしも社会というものを『弁証法的理性批判』の中で考えていたように、今でも考えるなら、そこでは友愛にはほとんど場が残されていないという確認がなされる。逆に、社会というものを政治よりも、一層根本的な人間相互の絆から生ずるものと見なすなら、そのときは、人々は友愛関係というある種の根本的な関係を持つべきであろうし、持ちうるし、持っていると考えられるのだ」。「友愛は人類の成員相互の関係」であって、それはLinuxのような集団的匿名へのアンガージュマンである。「すべての意識は、おのれを意識として構成すると同時に、他者の意識として、また他者に対する意識としておのれを構成するように、いまでは思われる。そして他者と関係を持っているところから自己を他者に対するものとして考えるこの現実存在、この自己自身、これこそが私が倫理的意識と呼ぶものなんだ」。現代社会では、自己と他者は、後に言及する通り、決定不能であり、「友愛」はこうした社会での倫理的意識にほかならない。

 一九六八年五月以降、サルトルは影響力を急速に失っている。約二十年間、実存主義の旗手やアンガージュマンの作家として世界的な知的覇権を欲しいままにしてきたサルトルも、五月革命の終焉と共に、後発の哲学者たちから乗り越えられた過去の巨匠という烙印を押される。実存主義に代わり、構造主義さらにポスト構造主義が時代のモードになる。彼らはサルトルに対してサルトル的手法、すなわちキャンペーンによってサルトルを葬り去る、ミシェル=アントワーヌ・ビュルニエは、『サルトルよ、さらば』の中で、一九六〇年代の若者世代全体の歴史を描き出す際に、サルトルの果たした思想的指導者役割を強調している。サルトルは、その後、マオイストの「プロレタリア左派」と連携する。「革命家たちは、人間的な、人々を満足させるような社会を実現したいと望んでいる。ただ、彼らはその種の社会が事実に基礎を置く社会ではなく()権利に基礎を置く社会だということを忘れている。すなわち、人間同士の関係が倫理的である社会だ。ところで、革命の最終目的としてこの倫理という概念、それを真に考えうるのは一種のメシア思想を通してなのだ」(サルトル『いま、希望とは』)。メンバーのために、裁判所へ証言として出頭し、集会や討論会、デモに参加するサルトルは極左の擁護者として、周囲の無理解や嘲笑、憎悪にさらされている。両者の関係は、一九七三年、「袋小路」に陥ったプロレタリア左派が自主解散するまで続いている。「左翼に欠けているのは地盤、その上を歩むべき何かだ。左翼は賭けるものを持たず、この時期は一つの終焉のように思われている。左翼はその活力、荒々しさ、激しさを失い、今のところそれらを取り戻す手段を持っていない。()それでも、いつの日か左翼が正しい立場になることを私は願う」(サルトル『左翼、絶望と希望』)

サルトルの「希望」は電子メディア社会の実情をうまく説明している。従来のラディカルに見える主張はvisibleさに基づいており、invisibleな匿名社会では、むしろ、素朴である。これまでのラディカリズムにはinvisibleinvisibleなままに把握する態度に欠けている。「友愛」はinvisibleな倫理である。レッシグは変化が激しいのは、ネット犯罪がいわゆるゲーム感覚で行われているように、「大半の人にとってサイバースペースでは直感が働かないため」と説明する。テロ対策として空港での身体検査を厳しくするとしよう。「もし、厳格なチェックのために裸になって歩いてもらおうという意見がでたら、『やりすぎだ』と思うはず。現実の社会なら当たり前のこうした直感、判断力が、実は、サイバースペースでは働かない。コードが社会を規制するという実感がわかないのだ」。管理されたサイバー空間の拡大は、ネット上の著作権を端的な例として、実生活へも影響を及ぼすようになる。『スタートレック』のファンが自作のトレック・グッズで自宅を埋め尽くそうが、「だれも問題にしなかった。ところが、そのコンテンツを見てほしいと、ネット上にのせたとたん、著作権の侵害で取り締まれるようになった」。実社会の規制は、法律をつくっても限界があり、不完全さが残っているし、その不完全さが救いでもあったとレッシグは語る。ところが、「コードによるデジタル規制は簡単で、しかも安価に行うことができ、例外を許さない」。メリッサの逮捕が示している通り、ノードのコンピューターには通信履歴が残り、それを利用すれば、身元を割り出すことができる。レッシグは「自分たちの価値観をもとに、サイバースペースの構造を選択しなければならない」と主張する。法による一定のコントロールは必要であるが、「個人情報の管理でも、それこそ何千種類ものシステムが構築できる。そのことを認識していないと、自分たちの意に反したシステムが導入されるかもしれない」。そのために、各分野の相互交流が重要である。「技術者は法律を知らない、法学者は技術がわからない、そんな専門性の相互不可侵のルールを破らなければいけません」。「倫理において特徴的なことは、行動というのは一方で微妙な具合に強制されて姿を現すと同時に、他方ではしないでよいものとして与えられるということだ。したがってまた、行動をするときは選択を、自由な選択をしているということだ。この場合の強制は、決定をしないという点で、強制として姿を現しながらも、選択は自由になされるという点で超現実的なんだ」(サルトル『いま、希望とは』)

けれども、「直感が働かない」ことが現代人にとっての実感である。「人間はたいてい、内容より印象で受けいれるものだ。学会の講演ですら。ましてテレビともなると、人はたいてい、日常のなにかをしながら、ブラウン管を眺めている。語りかけられる内容に神経を集中していることもない。それだけにかえって、対人関係の防衛から無防備になってもいる。それで直接に、その印象が伝わっていく。()考えてみれば、これだけ多くの人間のネットワークのなかにあって、たいていは印象によって人のイメージが作られている。電波のネットワークのなかで、たまたまブラウン管に映像が現れているように。それはすぐに消えて別の映像になるかもしれぬが、時間を共有しながら印象を残していく。人間の関係というのは、そうしたものなのだ」(森毅『ブラウン管から』)。現代では自己と他者の関係は決定不能に陥っている。自己と他者が決定不能になり、「対人関係の防衛から無防備になって」いる以上、ネットにおいて「信用」めぐるトラブルが絶えないのは当然であろう。電子メディアでは、「信用」は、活字メディアとは違う。サルトルの「知識人」もそうした決定不能を生きている。「知識人たちは、人間の中でも、最も手段の乏しい者ということになります。確かに彼らをエリートと考えることはできません。そもそも彼らには、いかなる公認の権力も、いやいかなる非公認の権力さえないのですから」(サルトル『知識人の擁護』)。自己と他者の決定不能性という実感には従来とは違った実存がある。掲示板やチャット、メーリング・リストでは、真剣に意見をぶつけ合い、議論することは少ない。大部分は、たわいもないおしゃべりである。しかし、それが真剣な議論より劣っているわけではない。サルトルの「希望」はこうしたたわいもないものである。サルトルは極限的な状態から実存を演繹するのではなく、こういった日常生活から実存を考える。匿名で交わされるたわいもないおしゃべりが現代の実存を表象している。「自己の表現といっても、声高に自分を見せびらかそうとすると、()ただ流行にまきこまれての横ならびにしかならぬ。むしろ、アクセサリー的なもので、ひそかに自己表現することから出発するのがよい」(森毅『「ベンチャー」「プリクラ」「2進法」』)。ニヒリズム下の実存と決定不能における実存は違っている。極限的な状態は「エージング(Aging)」や「β・テスト(β-test)」であるとしても、「雲(Cloud)」のような現代社会における実存は従来の実存主義では把握できない。ネットワークにはメッシュ・ツリー・スター・ループ・バズに分類されるが、通常のネットワークはスターとループの組合せで成り立っているため、ランダム・アクセスできる。「私の考えたことはこうだ。どんなつまらない出来事でも、それが冒険となるための必要十分条件は、それを話すことだ。これこそ人がだまされる点なのだ。一人の人間はつねに物語の話し手であり、彼は自分や他人の物語に囲まれて生き、自分に起こるすべてを物語を通して見る。そして、彼は、自分の人生を他人に話すように生きようとするのである。だが、生きるか話すか、そのいずれかを選ばねばならない」(サルトル『嘔吐』)。十九世紀の不安や絶望は大きかったが、その分、visibleである。「ゴドーを待ちながら」(サミュエル・ベケット)、すなわち神の死の決定不能という現代の不安や絶望はinvisibleである。「アンガージュマン」はそういう社会への参加を意味する。掲示板はテキスト・コミュニケーションの場であり、基本的には、情報の交換の場であるから、いかなるコンテンツにも参加できる。資格は不要だ。匿名なので、地位や名誉、国籍、性別、年齢どころか、時間・空間も制約にならない。ディベートではなく、たわいもないおしゃべりのゲームである以上、気軽に、降りることもできる。形勢が不利になったら、脱げ出し、別の名前を名乗ればよい。次第に腕が磨かれてゆく。固定した名前さらに実名の使用は勝利の証となる。

当然、掲示板(http://tools.geocities.co.jp/Bookend/4208/@geoboard/1.html)に次のような書き込みをする者もいる。

 

- 20020208 131314

おい、佐藤。もうあちこちにくだらない書き込みをするのはやめろ。お前の言ってることはつまらないし、そもそも日本語が間違いだらけだ。高卒のくせに無理して難しいことを言おうとしても無理だ。才能も能力もない。ただ他の人を不愉快にさせるだけだ。一生だまってろ。

 

 「アンガージュマンとは、シュプレヒコールしろとか、突撃で特攻隊になれとか、そういうことを意味しているんじゃないんだよ。一人ひとりの日常の生活の中で何を捉えて何を考えるか、その上で個々人として何ができるかということ。たとえ一瞬でも、できる範囲で具体的に何をするかが問われてるんだけどね」(田中康夫『新・憂国呆談』)。日常生活に見られる現象は非線形である。非線形は微分方程式が使えないため、極限化できない。つねに時代の「同伴者」として生きてきたサルトルが主張しているのは非線形としての実存主義であり、ヒューマニズムである。「淡々とあるがままを書いているわけで、それはある意味で新しい人間主義だと思うんです」(田中康夫『新・文藝時評』)。『いま、希望とは』の中でサルトルは率直に時代の「希望」について語るだけでなく、『存在と無』のペシミスティックな基調についても「絶望」を語ったのはキルケゴール、「不安」を口にしたのはハイデガーの当時の流行(モード)にすぎなかったと述懐し、また、共産党との同伴も、「一人のブルジョアが自己の階級と決別する行為だった」と認めている。アンドレ・グリュックスマンは、『歴史への責任』において、これをサルトルの「強烈なユーモア」と解釈している。

 サルトルは、雑誌『現代』の創刊号において、時代と作家の関係について次のように訴えている。

 

作家は時代を逃れる術がないのだから、われわれは作家がその時代としっかり取り組むことを望む。時代は作家の唯一の機会である。時代は作家のためにつくられ、作家は時代のためにつくられる。

 

「時代を逃れる術がない」作家は、現代の問題意識において、物事を考えなければならない。時代と作家は相互作用する。サルトル自身戦時下『レジスタンス、フランスと明日の世界』を書いているように、「抵抗」の是認も時代が要請している。オリヴィエ・ヴィケールは、『ジャン=ポール・サルトルの驚くべき三つの冒険』において、サルトルの執筆活動を三つの時期にわけながらも、『存在と無』の著者に主眼を置いている。第一の時期は『奇妙な戦争/戦争日記』を書いた第二次世界大戦初期、第二は一九六四年に『言葉』を発表した絶頂期、最後は、失明状態にありながら、『家の馬鹿息子』執筆のために机に向かっていた晩年である。加藤周一が『サルトル』でサルトルの思想を四期にわけているように、この区分は必ずしも自明ではない。サルトル思想の区分は時代をいかに区切るかという問題に直結する。サルトルは、確かに、「時代」そのものである。現代は慌しい。サルトルは書きながら考え、考えながら書く。『存在と無』や『自由への道』、『弁証法的理性批判』、『家の馬鹿息子』など代表作は未完であるが、サルトル自身完結させようとしてはいなかっただけでなく、即興的に書いている。「わたしは本をつくっているし、将来もつくるだろう。それは必要なことだし、何にしろ、役に立つ。文化は何びとも救いはしないし、何ごとも正当化しない。しかし、それは人間がつくりだしたもので、人間はそこに自分を投げ入れ、自分を認める。この批判的な鏡だけが人間におのれのイメージを提示するのだ」(サルトル『言葉』)

サルトルの時代へ向き合う姿勢にはある特徴がある。サルトルは『ユダヤ人問題』で反ユダヤ主義を糾弾する。しかし、ユダヤ人自身の問題には言及しない。「ユダヤ人の自己同一性は外部から押しつけられた自己同一性である」。サルトルは「なぜユダヤ人は差別されるのか」を「なぜユダヤ人を差別するのか」に置き換える。主語であった「ユダヤ人」は目的語に転換させられる。「ユダヤ人」を目的語にすることによって、その問題を受けとる側が主語になり、受けとる側は考えるきっかけになる。サルトルの問題設定はつねにこうであるため、彼は「同伴者」たらざるを得ない。

この問題設定には「意図」がある。ワイマールの知識人はナチスの宣伝の前に、なす術もなく、敗北している。この失敗を繰り返してはならない。少なくとも、サルトル以前の哲学者も、作家も、ナチズムの人々への浸透に無力でしかない。宣伝を効果的に使ってくる全体主義にはキャンペーンで対抗する必要がある。事態は待ってくれない。早急に対応しなければならないのだ。問題を発見すると、サルトルは、迅速に、キャンペーンを展開する。それには最適な方法で、最適なタイミングを選ばなければならない。ダイクストラ・アルゴリズムでコスト計算をしたかどうかは不明だとしても、サルトルは、まず、ネガティヴ・キャンペーンを使う。短期間で効果をあげるには、これが一番だ。『ユダヤ人問題』はその典型であろう。サルトルはそれにとどまらない。キャンペーンをモードにする。新たな生き方を提案するのだ。広告は、ナチス登場の頃と違い、宣伝と言うよりも、提案としての役割を担うようになっている。広告主は製品を売ろうとするより、その商品の購買を通じて、「何をえられるのか」を提供することに力点を置いている。「製品」ではなく、それによって何がもたらされるかを消費者は知りたがっている。サルトルの作品と行動はマーケッティング論やモード論として読む必要がある。「アンガージュマン」はキャンペーンをはること、「キャンペーンとしての思想」を意味する。『現代』誌を主宰して、生涯のパートナー「カストール」ことシモーヌ・ド・ボーヴォワールと共に、サン=ジェルマン・デ・プレのカフェ・ド・フロールで誰かれなく議論の花を咲かせている実存主義は時代のモードである。このモードは、第一に、当時フランスを覆っていたサン・シモン主義や実証主義といったイデオロギーへのキャンペーンとしてのモードである。「アロンと共に正しくあるよりも、サルトルと共に間違った方がよい」。モードは集団的匿名である。モードこそ力なのだ。闘争は、理論的にも、実践的にも、モードとなりえたものが力を持つ。エドワード・サイードは、『戦争とプロパガンダ』において、「私たちは、貧困、無知、抑圧が私たちの社会にはびこるようになったことに対する自分たちの責任いついて考え始めなければならない」のであり、「私たちはまず最初に自分たちの倫理的な優位性を確立しなければならない」と言っている。「一般のアメリカ人はパレスチナ人の苦しみや追放の物語があることに微塵も気づくことがなくなってしまった」。サイードはイスラエルによる周到なキャンペーンに対して無力だったアラブやパレスチナの指導者だけでなく、「知識人の怠慢は、それに劣らず重大だ」と批判する。サルトルが実践した「キャンペーンとしての思想」がパレスチナ問題では十分に生かされていなかったというわけだ。ただ、キャンペーンとしての思想は、インターネットによって、再認識されている。キャンペーンは非対称戦であって、その前提を逆手にとらなければならない。泥沼に持ちめんだら、勝利となる。ジェノヴァ・サミットの際にはシアトル、ダボスに続いて反グローバリズムの運動が数万人の参加者を集めたデモが、首脳たちが会談する租界の周辺で、行われていたが、ネットがなければ、決して成立しなかっただろう。

思想としてのキャンペーンは「運動」ではなく、「現象」である。神の死に伴い、身分制が崩壊した結果、身分に立脚した思想は無根拠な「運動」に解体される。共産主義「運動」もその一つである。目指すべきコンセプトが先行するため、「運動」の公式や方程式の必要が迫られ、それを説く批評家が歴史上かつてないほど影響力を持つようになる。批評家は新たな「運動の展開を形成するだけでなく、その萌芽とさえなりうる。批評家は「運動」の「前衛」というわけだ。しかしながら、「運動」は神の死の下での思想であって、神の死の決定不能においては、「現象」が思想となる。神の死の決定不能は前衛と後方の区別を消滅させ、漠然とした非線形的な集団的匿名をもたらす。「運動」にしても、「現象」にしても、広告である点は同一だが、前者が宣伝であったとすれば、後者は提案である。

サルトルは、『実存主義はヒューマニズムである』が示している通り、非常にジャーナリスティックな能力がある。サルトルはヘーゲルやフッサール、ハイデガーといった先行する哲学者の著作の精緻な読解を試みると言うよりも、いささか荒っぽさもはらみながら、彼独自の解釈を発展させる。サルトルは印象で書いているが、これは非難すべき点ではない。電子メディアに囲まれている現代は神経を集中して本を読むのではなく、印象で受け入れる時代だからだ。サルトルにとって、彼らは口実にすぎない。サルトルの文学論も同様である。サルトルは、流行の思想を取りまとめ、軽く自分の考えを加え、ペーパーだけでなくシンポジウムに積極的になっている通り、ニュー・アカデミズムを先取りしている。ニュー・アカデミズムもモードとしての思想である。活字メディアでは、神経の集中が要求されるが、電子メディアにおいては、むしろ、神経の並列処理、すなわち「ナガラ視聴」(森毅『テレビとラジオ』)である。モードとしての思想は「ナガラ視聴」をする関心がそれほどない人たちにも訴えることが可能である。ジャック・デリダは、『自伝的な言葉』の中で、サルトルのアンガージュマンは問題の緊急性には応えているが、その問題への注意深さに欠けていると指摘する。「彼はまさしく知識人として、知識人の責任において自らの人望を大義のために役立てなければならないからこそ、彼の責任に特殊なところがあることを考慮する必要がある。その特殊性とは、分析・情報の複雑さへの注意・非即興の優位です」。IT産業では、むしろ、この速度こそが力となる。コンピューター・プログラムにミスがあれば、修正すればよい。ミス以上に、ソフトウェアの出荷が遅いことの方が問題だ。バグがあることくらい売る方も買う方も折込済みである。“If it works, it's obsolete”.作品だけでなく、サルトル自身が社会におけるコンピューター・プログラムの「バグ」として機能している。「そこで、よいプログラムとは何かだが、それはムシのいないプログラムではあるまい。ムシがいてもよいから、うまく走るプログラム。()一つにはムシがいてもよいから、あまりとおくまで影響を及ぼさずに、ひっそりと小さなミスで暮らしていてくれればよい。その次に、そのムシの影響で局部的にでも重大な異常が起こったら、その異常がめだって気づけるのがよい。まるで、ムシのエコロジーのようなところがおかしいが、コンピューターでなくて日常もそんなものかもしれない。いつでも小さなミスをしながら人は暮らしている。ミスを絶滅しようなどと、ストレスを貯めこむことはない。そして、ミスを目だたなくすることは、ミスすることより悪い。なにより、自分にミスはないと自分をだますのが、一番悪い」(森毅『ムシのエコロジー』)。サルトルの存在は社会にとってエコロジーである。

ジャーナリスティックなサルトルの時代の決定不能性に関する認識は、戦後すぐの著作にも次のように表われている。

 

われわれは、ドイツの占領下にあったときほど自由であったことはなかった。われわれはすべての権利を失い、まず、話す権利を失った。いつの日も面とむかってののしられながら、だまっていなければならなかった。われわれは、労働者として、ユダヤ人として、政治的囚人として、まとめて連行された。壁、新聞、スクリーンなどいたるところに、けがらわしくなさけないわれわれの顔があって、それは支配者たちからわれわれに見せつけたがったものだった。こうしたすべてのことのために、われわれは自由だった。ナチスの毒がわれわれの思想にまでしのびこんでいるがゆえに、まっとうな思想はひとつの征服であった。全能の警察がわれわれに沈黙を強制するがゆえに、ひとつひとつの言葉は、大義の宣言のように貴重だった。追いこまれていたがゆえに、ひとつひとつのしぐさは誓いの重みをもった。しばしば残忍きわまる事態にいたるたたかいのなかで、ついにわれわれは、人間の条件と呼ばれるこの引き裂かれた耐えがたい状況を、赤裸々に生きることができるようになった。

(『沈黙の共和国』)

 

これは平和(la Paix)ではない。平和とは、一つの始まりなのだ。われわれは苦悶を生きている。長い間われわれは、戦争と平和を黒と白、熱と冷のようにはっきり区別できるものだと信じていた。それは本当ではなく、われわれは今そのことを知っている。()二十世紀にあっては、平和から戦争道は連続した堕落の過程である。われわれは、どう楽天的に見積もっても、その道を逆にたどるしかないのだ。今日、一九四五年八月二十日、人気のない餓えたパリで、戦争は終わったが、平和は始まっていないのである。

(『戦争の終わり』)

 

この平和に関する認識は一九七〇年代の平和研究を先取りしている。インドのスガタ・ダスグプタは、一九五〇年代から六〇年代にかけて追究された平和、すなわち「消極的平和」の状態を「平和ならざる状態(peacelessness)」と呼び、ノルウェーのヨハン・ガルトゥングは、そこに加わっている暴力を戦争や剥き出しの物理的暴力と区別して、主体の特定できない「構造的暴力」と命名している。両者とも国際的・国内的な支配体制によって課される不公正を取り除くことまでを含めた「積極的平和」を追求すべきだと考えている。また、カナダのアナトール・ラパポートは、一九七四年に発表した『人間の作った環境下での紛争』の中で、生物学から心理学、思想史、ゲーム理論に至るまで動員して、紛争の理論的総合的解明を深化させている。一九七六年に刊行されたガストン・ブートウールとルネ・キャレールの『戦争の挑戦』では、クインシー・ライトやルイス・リチャードソン、ジョエル・シンガー、メルビン・スモールらの膨大なデータを駆使するマクロ・レベルの紛争の体系的研究に社会学的、哲学的な解釈や分析を加えている。「人間が歴史をつくることは、歴史が人間をつくることとまさに表裏一体をなす。この意味は、人間相互の関係が、規制の制度化された関係を乗り越えるものとして形成される限りで、それはつねに人間たちの活動の弁証法的な結果だということである。人間が人間に対して存在するのは、一定の境遇や社会的条件の中でのことであり、だから、あらゆる人間関係は歴史的である。しかし、歴史的な関係が人間の関係と言えるのは、それが同時に、実践の直接の弁証法的結果として与えられる限りでのことである。ここの実践は、同一の活動の場の内部でなされる複数の活動のことだが」(サルトル『弁証法的理性批判』)

一方で、同じ時代、「国際関係論(International Relations)」が国際政治・経済の政策決定に大きな影響を与えている。国際関係論誕生の契機は「不安」と「絶望」が実感された第一次世界大戦に求められる。当時、政治・経済・文化の越境行為は、国家の管理下にあり、政府こそが意志決定の主体であると考えられている。「彼は小さかったときに、母親がときどき、特別な調子で、『お父さま、書斎でお仕事よ』と言ったのを思い出した」(サルトル『一指導者の幼年時代』)。歴史的には、フレデリック・シューマンが一九三三年に著わした『国際政治』では、西欧国家体系および力の概念が導入され、国際関係の現実が分析されている。さらに、「リムランド(Rimland)」で知られるニコラス・スパイクマンは、一九四四年に発表した『平和の地政学』において、国際政治を「パワー・ポリティクス(Power Politics)」と規定し、国家は力の維持と拡張とをその対外政策の主たる目標とすべきであると論じ、平和は世界政府によってではなく、「勢力均衡(Balance of Power)」によって維持されると主張している。ハンス・J・モーゲンソーは、一九四八年の『国家間の政治』において、「国際政治は、他のすべての政治と同様に権力のための闘争である」とし、一国の外交政策の基準として「国益(National Interest)」という概念を導入する。一九五〇年代半になると、モートン・A・カプランの国際体系モデルやリチャード・スナイダーの政策決定論といった「行動科学革命」が提唱される。「全体戦争はある種の力の均衡、ある種の相互性を前提にします。植民地戦争は相互性なしに行われました。しかし、植民地主義自体の利益のために、ジェノサイドの限界が画されていました。世界諸国の不平等な発展の終局的結果である現在のジェノサイドは、いかなる相互性もなしに一方の側が徹底的に遂行する全体戦争なのです」(サルトル『ジェノサイド』)。現在では、科学技術の発達によって、経済活動や人的交流は、空間的に拡大し、量的に増大し、質的に深化している。越境する活動が必ずしも国家の統制にはなく、むしろ、国際機関や多国籍企業、NGO、地方自治体なども国際関係の主体と見なされ、分析の対象としてとりあげられる。その結果、国際関係論は三つに分類される。第一は伝統的な国家中心の自称「現実主義」派であり、権力の分析に関心を示し、国家を分解不可能な基本的単位とするビリヤード・ボール的世界観を持つグループである。第二は、世界政治経済のヒエラルキー的構造を重視するレア・ケーキ的世界観のグループである。日本では、「国益」よりも「公益」に時代に入ったにもかかわらず、いまだにマスメディアを通じて、ぞっとする話だが、第一と第二のグループの説だけが援用されている。「彼らは誤謬の成功を教えて次の世代を形成することによって、罰を受けずにはいられないであろう」(サルトル『唯物論と革命』)。第三のグループは、世界の相互依存的状況と国家以外の行為体の活動も重視する「WWW」型世界観が属している。「私たちは現にここにこうしてある理由をまったく持たない。何もかも、存在する一切は、混乱し、漠然とした不安にとらわれ、互いに余計なものだと感じている。余計なもの。それが、これらの木、これらの柵、これらの小石の間に打ち立てることのできる唯一の関係である」(サルトル『嘔吐』)。

 

Ladies and gentlemen, let me present

Frankie Goes To Hollywood

Possibly the most important thing

This side of the world.

 

Oh yeah, well ard!

 

You may pronounce us guilty a thousand times over, but the Goddess of the

Eternal Court of History will smile and tear to tatters the brief of the

state prosecutor and the sentence of this court, for She acquits us

Condemn me

Condemn me

Condemn me

History will absolve

Singing "this will be the day that I die".

yeahhhhhaaaa

 

(If your grandmother or any other member of your

family should die whilst in the shelter,

put them outside, but remember to tag them

first for identification purposes.) 

Go to war

Go to war

Go to war

heh

Just think, war breaks out and nobody turns up.

(If any member the family should die whilst in the shelter, put them outside,

but remember to tag them first for identification purposes.)

(If your grandmother or any other member of the family should die whil......dentification purposes.)

heh heh

 

It's enough to make you wonder sometimes if you're on the right planet.

 

Let's go

 

When two tribes go to war

A point is all you can score

When two tribes go to war

A point is all you can score

 

Cowboy No. 1

A born-again poor man's son

On the air America

I modelled shirts by Van Heusen-yeah

 

You know

 

Working on the black gas

 

Switch off your shield

Switch off and feel

I'm working on loving-yeah

Giving you back the good times

Ship it out-out

I'm working for the black gas

 

We got two tribes

We got the bomb

We got the bomb-yeah

Sock it to me biscuits-now

 

Are we living in a land

Where sex and horror are the new Gods?

Yeah

 

When two tribes go to war

A point is all you can score

(Frankie Goes To Hollywood “Two Tribes (Annihilation)”)

 

「私たちは同化しがたいものを総体的な防御との結びつきをストレスと呼ぶことにしよう。全体化は同化しえぬものに逆らってストレスを発達させるが、これは、全体化がストレスを和らげようとする限りにおいてすでにストレスに汚染しているからだ」(サルトル『家の馬鹿息子』)。先にあげた国際関係論はゲーム理論やオペレーションズ・リサーチ(数理科学を用いた計画手法であり、さまざまな対象を数学的にモデル化してシミュレーションし、有用な解決策を導く方法)、システム論、コミュニケーション理論などさまざまなアプローチを吸収する。「それがまた『嘔吐』を催させる。いや、むしろ、それが『嘔吐』だ。『嘔吐』はわたしの中にはない。わたしはあそこに、壁の上に、ズボン吊りの上に、わたしのまわりのいたるところに、『嘔吐』を感じる。それはカフェと一体であり、わたしのほうがその中にいる」(サルトル『嘔吐』)

ところが、コンピューターが軍事目的から考案され、インターネットの原型も核の脅威から生まれているように、平和研究の方法論も国際関係論と同じ手法に基づいている。平和研究も国際関係論も決定不能に置かれているというわけだ。「フルーリエ氏もやはり存在していなかった──リリもだれも──世界は役者のいない喜劇なのだ」(サルトル『一指導者の幼年時代』)。国際関係論の根拠は極めて曖昧である。クインシー・ライトは、一九四二年に著わした『戦争の研究』の中で、戦争の諸条件に関する総合的な研究を展開している。また、彼と同時代のルイス・リチャードソンは、データと数理的処理に基づいて、研究している。前者の後継者としては、紛争、戦争に関する膨大な歴史データを分析したジョエル・シンガーやメルビン・スモール、後者には、「囚人のジレンマ(Prisoner's Dilemma)」や「核抑止(Chicken)」などのゲーム理論に集約的に表現されたアナトール・ラパポート、ケネス・ボールディングの紛争研究などをあげられる。ラパポートは、一九六四年、『戦略と良心』において、当時の米ソの核兵器に関する交渉の行き詰まりを「囚人のジレンマ」モデルによって解明し、抑止理論を批判している。ゲーム理論の一種である囚人のジレンマは最悪の場合でもよりましな結果を求めて行動することによって、最終的に、二人のプレーヤーとも最悪の選択をしてしまう。映画『セカンド・チャンス(Two of a Kind)』(一九八三)の中で、オリヴィア・ニュートン・ジョンが演じるデビーはひっかからなかったものの、ジョン・トラヴォルタ扮するザック・メロンはこの囚人のジレンマに見事に屈している。「現代の資本主義社会には生活はない。あるものはただ宿命だけだ」(サルトル『アメリカ論』)。「ゲーム理論(Game Theory)」は、一九二一年 フランスの数学者エミール・ボレアが最初に発表している。一九二八年 ハンガリーの数学者ヨハン・フォン・ノイマンは、「最適戦略(ミニ・マックス)(Mini-max)」の定理を証明した『室内ゲームの理論』を発表している。一九四四年、フォン・ノイマンがオーストリアの経済学者オスカー・モルゲンシュテルンと共に『ゲームの理論と経済行動』を刊行している。一九五五年、そのフォン・ノイマンは『核戦争における防衛』の中で核抑止の前提的議論をゲーム論的に証明し、一方で、一九五九年 イギリスの数学者で、サルトルも参加したヴェトナム戦争をめぐる「ラッセル法廷」でも知られるバートランド・ラッセルは、『常識と核戦争』の中で、チキン・ゲームの本質を指摘している。実際、公開された資料を読む限り、脅威論は、多くの場合、関係者の保身のため、すなわち部署の維持と予算の確保を目的に、煽られてたものだと断言できる。この状況は、現在でも、続いている。このように、歴史的に、陰謀なるものは保身から生まれることを忘れてはならない。「外交というものは、できるだけいろんな情報を知ることが必要だが、秘密の情報を持っていることを威張りたがる人のところへは、良質の情報は入ってこない。秘密をきめこむより、楽しい情報はなるべくふりまき、人をおとしいれる情報はとめてしまうのが、外交のコツである」(森毅『ボクの京大物語』)

 

ユーゴー しっ。(間)おれの目を見ろ。時々、おれは、おれがおまえを信じるふりをしているだけで、本当は信じていないんだと思う。かと思うと、心の底から信じていながら、信じないふりをしていると思うこともある。どっちが本当なんだ。

ジェシカ (笑いながら)どっちも本当じゃないわ。

(サルトル『汚れた手』)

 

東西冷戦崩壊後も合衆国政府はゲーム理論に基づく政治・経済・軍事政策の根拠付けに使われているだけでなく、九月十一日以降、その認識を強化している。ゲーム理論では、各プレーヤーは選択できる行動を複数持ち、それぞれの行動に対応した得点の最大値と最小値が前もってわかっている。各プレーヤーは、期待できる得点の大きい行動や安全性の高い行動を状況に応じて選択する。ゲームが一段階しかないときは、選択する行動を「戦略(Strategy)」、複数の段階からなるのでは「手番(Move)」、こういうゲームを「ゼロサムゲーム(Zero-Sum-Game)」と呼ぶ。また、ルールに従って得点を重ねていき、最終段階で多く得点しているほうを勝者とするようなゲームは「プラスサムゲーム(Plus-Sum-Game)」あるいは「ポジティブサムゲーム(Positive-Sum-Game)」である。東西冷戦崩壊後の合衆国の一人勝ちの状態に対して、合衆国政府はプラスサムゲームの勝利を主張しているが、どう見ても、グローバリゼーションの名前で行われているゲームは前者であろう。

 

第三の士官 裏切り者は信用できません。

ゲッツ ほほう、おれは裏切り者が大好きだ。

(サルトル『悪魔と神』)

 

ゲーム理論の論理は「均衡」に基づいている。ゲーム理論における「均衡」は「ナッシュ均衡(Nash Equilibrium)」を意味する。すべてのプレーヤーが自分以外のプレーヤーの行動に対して最善を尽くしている状況がナッシュ均衡である。「非現実的存在は、世界内にとどまる意識によって、その世界の外に産み出されるのであり、そして人間とは『想像するもの』であるということは、人間が超越論的に自由な存在だからである」(サルトル『想像力の問題』)。ナッシュ均衡を考慮すると、次のような帰結が導き出せる。ゼロサムゲームでは、相手の最大利得が最小になるようにすると同時に、相手側は自分の最小利得が最大になるようにする。当事者がこう行動すると、最大利得の最小は、最小利得の最大に等しい。表面的には、一方的に負担している利他的な関係に見えても、実は、その方が自分が利益を得られるからという合理性の結果である。二十世紀に入ると、難民や亡命が大量に発生しているが、亡命は否定的意味ばかりでなく、亡命者を受け入れた国がその亡命者の力によって社会的・文化的変容を遂げる積極的な面を持っている。「今、あなたは、若くて、金持ちで、美しく、老人のように賢く、すべての隷属とすべての信仰から解き放たれ、家も、祖国も、宗教も、職業もなく、何にも縛られることもなく自由で、しかも、縛られてはならないことをご存知です。要するに、優秀な人で、おまけに大きな大学都市で哲学や建築学を教えることもおできになる」(サルトル『蝿』)

これまで『いま、希望とは』を中心にサルトルを考察してきたが、『いま、希望とは』は理論的主著、すなわち『存在と無』や『実存主義はヒューマニズムである』、『弁証法的理性批判』と必ずしも矛盾しない。『存在と無』において、サルトルは、人間を社会や伝統的倫理や宗教的信念に頼ることなく、自らの行為に対する責任を引き受け、権威への反抗を通じて自分自身の世界を育んでいく存在と見なしている。サルトルによれば、人間の「意識」はつねに何ものかについての意識であり、それが関心を寄せるのは「存在」であって、「それがあるものであり、それがあらぬものであらぬ」、すなわち「即自存在」である。即自存在は自分自身を問題として定立できない「たんなる肯定」であり、一切の否定を含まない。この「存在」は完全に自己充足している。一方、人間の意識は、自分自身を問題として定立できる「否定を抱え込む性質をもったもの」である。「意識の間の関係の本質は、共同存在ではなく、いさかいである」。「意識」は自己に充足しておらず、未完成であり、つねに欠如を持つ。サルトルはこのような「意識」を「自分があるものであらず、自分があらぬものである」と説明し、「対自存在」と呼ぶ。対自存在は自己が現前であらぬように、また自己が現にあらぬものであるように、不断に自己を未来に向かって投げ出してゆく。これが対自存在の「時間論的構造」であり、この意味で、対自存在は「可能性の存在」である。「可能性」を真に可能にさせるには、多くの抵抗や障害との対決が必要不可欠なものとして、対自存在の前に現れる。この抵抗や障害との闘争が「アンガージュマン」である。フィリップ・プティは、『サルトルの大義』で、サルトルの思想と政治的な経緯にスポットを当てているけれども、サルトルの思想において最も重要なのはこの「アンガージュマン(Engagement)」である。サルトルの「無」は実存が否定し、抵抗し続ける能力を意味している。サルトルは「ノンの哲学」のガストン・バシュラールや「否定弁証法」のテオドール・W・アドルノと必ずしも遠くない。「人間存在が自由であるのは、人間存在が十分に存在していないから、たえず自分自身から引き離されているから、自分の過去が自分の現在や未来から無によって切り離されているからである。()人間が自由であるのは、人間が自己でなく、自己への現前だからである。あるがままにある存在は自由ではありえない。自由とは、まさしく人間の内奥にあらしめられている無である。()かくて、自由は一つの存在なのではなく、人間の存在、人間の無なる存在である」(『存在と無』)

『存在と無』で論じられている自由は対自の基本構造としての自由である。「対自存在において、実存は本質に先立つ」ように、自由の分析から、価値が超越的でも、永遠不変のものでもないことが引き出され、同時に自らの行為に対する責任が導き出される。あらゆる人間が自分自身の決断に対して逃れることのできない責任を負い、誰もが絶対的な選択の自由を持っていることの是認が真の人間的実存にとって不可欠の条件である。自由はまず無制限な状態として定義される。制限のない一つの状態に関して、それが望ましい場合に人は「自由である」と言い、不満な時には「欠如している」と感じる。サルトルはこうした束縛という意味を帯びる自由概念を出発点として、それを論理的に突きつめ、人間は欠如存在であるがゆえに自由なのだと展開する。充足した存在、即自存在には自由は存在しない。欠如・虚無な対自存在のみが自由である。「人間的現実にとってあるひとつの存在者を局外に置くことは、この存在者との関係において自らを局外におくことである。この場合、人間的現実は存在者から逃れ、手の届かないところにある。存在者は人間的現実に働きかけないであろう。人間的現実は虚無の彼方へと退いたのである。人間的現実を孤立させるような虚無を分泌する人間的現実のこの可能性、それこそがデカルトが、ストア派に続いて、自由と呼んだものであった」(『存在と無』)

 自由は否定性として捉えられているが、これは出発点にすぎない。人間的自由は、否定性に依拠しているものの、たんなる否定ではなく、それ以上に意味を付与する真理の創造であり、「投企」である。価値あるいは意味は人間的現実が投企することによって生まれてくる。自由という否定性は、この点で、同時に生産的かつ肯定的でなければならない。倫理的には、各人の自由は他者の自由と相互に依存するために、自由は目指されるべき唯一絶対の価値と認識されねばならない。けれども、「人間は自由の刑に処せられている」。人間は自由であるべく定められている以上、自由でないことを選ぶ自由はない。サルトルは「自由」が担ってきたコノテーションをデノテーションに方向転換しているというわけだ。「人間は〈こころならずも〉自由であるのにすぎなくなる」。だから、「人間は、ときに自由で、ときに奴隷的だということはありえない。彼はまるごと自由であり、つねに自由であって、さもなければ存在しない」。アンガージュマンには責任という概念がかかわる。自由と責任は必ずしも直結しない。自由は危険が伴い、責任は権限にかかわる。責任は権限に基づき、説明結果責任は契約の遵守から生じる。人間は自分自身の作者という権限によって責任をとらなければならない。自由である対自存在が自らの唯一の作者であることの甘受がサルトルの「責任」である。その責任が次第に社会性へと拡大される。サルトルの方法は限定と言うよりも、拡大の方向性を持っている。

『実存主義はヒューマニズムである』では「アンガージュマンの方向性」が端的に指し示されている。サルトルはアンガージュマンの方向性を「ヒューマニズム」と規定する。その後に発表された『弁証法的理性批判』において、サルトルの強調点は、実存主義的な自由と主観性とからマルクス主義的な社会決定論へと移行している。

サルトルは、『弁証法的理性批判』において、個人と集団の関係について次のように述べている。

 

 集団の中にあるということは、内部から見れば、集団を断ち切ることもできないし、集団に統合されることもできないという二重の承認された挫折として表われる。別の言葉で言えば、集団を自己のうちに溶解することもできないし、自己を集団のうちに溶解することもできないという挫折である。

 

現代社会の個人に対する影響は極めて大きく、個人は社会の中に序列化され、自己を喪失するため、個人の力と自由はただ集団的な革命行為によってのみ保たれ得る。サルトルは、これ以前の一九五二年に発表された『共産主義者と自由』の中で、プロレタリアートへの支持を表明する。現代のヒューマニズムはプロレタリアートへの「共鳴」によって実現されるというわけだ。『存在と無』には「絶対的な『非自立性』」や「つねなる宙ぶらりんの状態」、「不安」、「絶えざる失敗」、「疑問形の存在」、「自分自身との間にある隔たり」といった概念が見られるのに、これらが「プロレタリアートへの共鳴」という「希望」に変容しているという批判がある。「疎外」は、初期マルクスに従えば、克服されなければならないし、一方、実存主義的には、疎外との闘争過程に人間的価値を見出す。サルトルの「疎外」はいずれとも違う。決定不能の時代において「疎外」は明確ではない。疎外されているとも、されていないとも言えない「疎外」である。その小さな揺れから共鳴が始まる。人間を対自存在として見るならば、人間はたえず今ある自分を否定し、新たな自分へと次々と脱皮を繰り返してゆく、対自存在として「脱自」的性質、揺れを発生させる性質を持っている。この「脱自」に基づいた「アンガージュマン」はたんなる運動への参加、もしくは党派性への参加ではない。サルトルの「共鳴」はソリトンの自己組織性と理解すべきである。「偉大な人間は自由であり続けねばならないと私は絶えず考えてきた。それはベルクソン的な心の自由でもなければ、まして、現在私が自分の中に見出しているような自由―これはとるにたらぬものではない―でもなく、ヘーゲル的自由のカリカチュアだった。つまり、偉大な人間という具体的理念を即自的かつ対自的に実現するために自由であり続けるのだ。障害につきあたる危険、罠にひっかかる危険はつねにあったが、断固として自らの道を進まねばならなかった。偉大な人間のこうした自由―〈自己の−運命−に対して−自由である〉―したがって当然、途上で出会うすべての者にとっては宿命の様相を帯びる偉大な人間のこの自由については、多くの事が書かれてきた」(サルトル『奇妙な戦争』)。非線形のシステムには、筋肉細胞のアクトミオシン系に見られるような要素間の強い結び付きによりリズムの「引き込み」という協力現象を起こす例がある。相互作用が非線形になっていると、要素間で特定の関係が強まり、全体が一つの秩序を持っていたり、逆に不安定性が増幅されてしまう。“There was something I had to find out--and that hour was worth to me than my whole life”(Bull Weed “Underworld”).要素間の関係が特定の傾向を強めあって、全体が自発的に一つの秩序にまとまってゆくことを「自己組織性(Self-organity)」と呼ぶ。データベースにもある種の自己組織性が見られるが、サルトルの「全体化」にはこの自己組織性がある。「党(le Parti)の役割は、労働者を互いに孤立させる恐れのある目に見えぬ仕切りを壊すことにある。と言っても、それは党が死体に命を吹きこむということではない。党は情熱や利害を近づけ、期待や冒険を共有のものとし、各人に他者との連帯を保証する。党の指令を通じて万人の意志が各人に明らかになる。指令に従うことは、集合体をなすことである」(サルトル『クロード・ルフォールに答える』)

サルトル自身はいかなる組織にも所属していない。彼は大学にも、研究機関にも、行政組織にも属せず、あらゆる問題に対して、メディアを通じて、発言したし、人々もそれを求めている。「私が大衆との関係を持つことを欲しなかったというのは事実じゃないと思う。けれど、これはまったく不可能だった。例えば、共産党の党員になり、共産党の活動家になることを受け入れない限りは。……私は二者択一の立場に置かれていた。党に入り、大衆と交渉を持つか、……あるいは、また自分と大衆を隔てるあの幕を考慮に入れて、これを受け入れ、従って、主として、中産階級とブルジョア階級からなる読者を相手に仕事を続けるか、そのどちらかだった」(サルトル『サルトル──自身を語る』)。サルトルは、『フランスにおけるマオ派』によれば、マオイストと連携する際に、「シニカルに天秤にかけ」、「生涯で初めてスターとして行動」することを自覚しているが、実際には、生涯を通じて、そういう態度で行動している。「私には結合した人間たちが必要なのだ。一人では、あるいはバラバラになったいくつかの単位では、社会を揺り動かし解体させることはできないだろうからね。戦う人々の集団を想定する必要があるのだ」(サルトル『いま、希望とは』)。「サルトルは何者なのか」という本質ではなく、つねにサルトルという実存が先行している。

サルトルは、『実存主義はヒューマニズムである』において、「実存が本質に先立つ」と次のように述べている。

 

たとえ神が存在しなくても、実存が本質に先立つ存在、何らかの概念によって定義され得る以前に実存している存在が少なくとも一つある。その存在は、すなわち人間である。実存が本質に先立つとは何を意味するのか。それは、まず先に、人間が存在し、世界内で出会われ、世界内に不意に姿を表わし、その後で定義されるものだということを意味している。実存主義の考える人間が定義不可能であるのは、人間は最初は何者でもないからである。人間は後になって人間になるのであり、人間は自らがつくったものになるのである。このように、人間の本性は存在しない。その本性を考える神が存在しないからである。人間は自らそう考えるものであるのみならず、自ら望むものであり、実存して後に自ら考えるもの、実存への飛躍の後に自ら望むものであるにすぎない。人間自らがつくるもの以外の何者でもない。()すなわち人間は、まず、対象に向かって自らを投げるものであり、未来の中に自らを投企することを意識するものであることを言おうとするからである。()もし神が存在しないなら、すべてが許される。従って、人間は孤独である。なぜなら、人間はすがりつくべき可能性を自分の中にも、自分の外にも見出し得ないからである。人間は逃げ口上を見つけることができない。もし確かに実存が本質に先立つとすれば、与えられ、固定された人間性を頼りに説明することは決してできないだろう。

 

サルトルはデカルトの「コギト・エルゴ・スム」を転倒する。神が存在しないとすれば、「スム・エルゴ・コギト」とすべきである。素朴な転倒に見えるが、これは自己の非線形としての把握である。サルトルにとって、実存は決定不能の現象である。本質=実存は原因=結果の図式に基づいていない。サルトルの決定不能性は、初期の作品から晩年に至るまで、一貫している。これをカントの批判哲学に見られる二律背反ととらえるべきではない。カントの二律背反は不可能の証明である。決定不能性は可能であるとも不可能であるとも言えない。それは静的な状態ではなく、波である。サルトルは、『デカルトの自由』の中で、デカルトの神の自由に関する叙述が現代では人間の自由に適用されると指摘している。「コギト・エルゴ・スム」は線形の命題であり、非線形の時代には「スム・エルゴ・コギト」としなければならない。近代において知識人はデカルトのコギトとして機能している。コギトによって社会はスムとなる。知識人は、その意味で、必要である。しかし、サルトルはそれに満足しない。疑う主体ではなく、神、すなわち権威に依存しない主体としての生き方を提唱している。既成事実に対する異議申し立てにとどまることなく、代替案を提示する。これは東西冷戦以降、すなわちvisibleな機軸が無効になった現代においてこそ必要とされている姿勢である。

神の存在を前提にするコギトは神と契約を結んでおり、神との契約を果たさなければならない。十九世紀、神の死と共に、神との契約は無効になってしまう。コギトは神との契約を優先し、神にこの契約の不利益と守秘義務を伝える。そこにスペシャリストが登場する。彼らは誰とも契約を結んでいない。アドルフ・アイヒマン裁判に関するドキュメンタリー映画『スペシャリスト』が公開されたが、現代における「知識人」は「エキスパート(Expert)」でも、「スペシャリスト(Specialist)」でもなく、「プロフェッショナル(Professional)」である。サルトルが「神が存在しないとすれば」という条件節を使っているように、二十世紀には「神の死」はモードであるため、神は広告される商品となり、神の死は決定不能に陥ってしまう。「人間は自由である。人間は自由そのものである。もし一方において神が存在しないとすれば、われわれは自分の行いを正当化する価値や命令を現前に見出すことはできない。こうしてわれわれは、われわれの背後にもまた前方には、明白な価値の領域に、正当化のための理由も逃げ口上も持ってはいないのである。われわれは逃げ口上もなく孤独である。そのことを私は、人間は自由の刑に処せられていると表現したい。刑に処せられているというのは、人間は自分自身をつくったのではないからであり、しかも一面において自由であるのは、ひとたび世界に投げ出されたからには、人間は自分のなすこと一切について責任があるからである」(サルトル『実存主義はヒューマニズムである』)。プロフェッショナルはエキスパートやスペシャリストと混同されやすいが、倫理観の点で明確に区別される。エキスパートは職人を意味する。個人的な天分と長年にわたる経験や修練によって会得した技能はあるものの、理論的・体系的裏付けを欠いている場合が多い。一方、スペシャリストは研究者や技術者、官僚によって代表される。学問的裏付けのある専門技能を持っているものの、倫理がないため、技能を磨くこと自体が目的となってしまうことさえある。アイヒマンは、当然、「スペシャリスト」と呼ばなければならない。スペシャリストは危機に際して組織防衛に走るが、プロフェッショナルはたとえ自分の所属している組織がつぶれることになろうとも、倫理を優先する。サルトルは、『人民の友』で、「古典的知識人」と「新しい知識人」を区別する。「この連中には、知識人として自分に異議を申し立てるという考えがただの一度もやってきたことがなかった。彼らは、アルジェリアのために、彼らのやってきたこと、ないしはやったと思ったことによって、後ろめたさのなかに自己満足を見出した。古典的知識人というものは、後ろめたさのために専門外の領域で行う行為(大抵は文筆活動)によって、自分の後ろめたさから自己満足を引き出す人間のことだ」。倫理は契約に基づいて、発生する。倫理はア・プリオリではなく、契約に応じて、新たに作り出される。「新しい知識人」は倫理を語り、それを実践する。この意味で、知識人は普遍的存在である。サルトルが契約を結ぶクライアントはスムとしての自分自身であるが、自己と他者が決定不能である以上、彼は説明結果責任を果たすために、人々へ語り続ける。

匿名の時代である現代において、「知識人」という概念にこだわる必要はない。サルトルの主張は、先に述べた通り、誰にも適用され得る。誰にもあてはまるとすれば、それは匿名である。サルトルの「意識人」は一つの記号であり、記号が表象しているルールを読み取るべきなのだ。匿名報道主義が犯罪を個人だけに還元せず、社会全体の問題として捉えようという立場であるように、匿名は社会的存在である。「知識人は、誰の委任状をも受けとっていない、いかなる権力も彼にその地位を与えていない、という事実によって特徴づけられていると言わねばなりません。そのような人間として、知識人は、何らかの決意の産物ではなく、異様な社会の異様な産物なのです。誰も彼の登場を懇請せず、誰も彼を認めません」(サルトル『知識人の擁護』)。知識人は倫理を語りながら、権威を拒絶しなければならないが、現代において、時代の変化が著しく速いために、モデルは不在である。モードの最先端を行く存在がいたとしても、それはモデルではない。最先端は社会を活性化する新たな連帯の倫理を示す表象である。サルトルがマオイストを支援したとき、モデルを拒否している。これは「友愛」に向けた本格的なキャンペーンである。サルトルは、このとき、意識的に匿名の知識人になろうと試みている。モデルは思考を固定化し、次の時代に対する不適応を招きかねない。だから、サルトルはあくまでもたんに時代の最先端にいただけである。「自分は別の世界を択ぶことができただろうか。それでも自由だろうか。確かに、行きたいところへはいけるし、そうするのに何の抵抗にも出会わないだろう。しかしそれだからこそ却って悪い。格子のない檻にいて、スペインから隔てられている。いや、何によっても隔てられていないのだが、檻の外へ出られないでいるのだ」(サルトル『自由への道』)

一九七九年六月、ボート・ピープルの救済を訴えるために、サルトルはレイモン・アロンやアンドレ・グリュックスマンらと共に、エリゼ宮のヴァレリー・ジスカール・デスタン大統領を訪問し、彼は、西永良成の『サルトルの晩年』によると、「われわれにかかわりのあるのは彼らの生命だけだ」と次のような発言をしている。

 

現在フランスに多数の失業者がおり、そんな中で七五年以来五万人のインドシナ難民を受け入れたのは評価していいことだと思う。また、かつてわれわれがヴェトナムのためにできる限りのことをしたのも事実だ。だが今日、われわれはそれ以上のことをしなければならぬ。なぜなら彼らは人間であり、これは人間対人間の倫理の問題なのだから。

 

一九五六年、ソ連軍がハンガリーに介入した際、サルトルは、『ズターリンの亡霊』の中で、それを擁護したフランス共産党を「彼らが関心を持つのは、ハンガリーではなく、ソ連だ」と批判している。サルトルは自説に固執しない。サルトルはソリトンと考えるほかない。長谷川宏は、『同時代人サルトル』において、「演劇だけではない。小説でも評論でも哲学書でも、そこを本領と感じていないもうひとりのサルトルがいて、安定と調和をゆるさぬ不協和音を奏でる。たとえばリアリズム小説のなかの不条理の思想、フランス共産党との強調を唱えるなかでの痛烈な党批判、アカデミズムの伝統をふまえた哲理のなかの反アカデミズム」と言っている。サルトル自身は、スタンダールとスピノザの両方になりたかったと述懐していたにもかかわらず、多彩な方面で活躍している。『自由への道』にしても、『出口なし』にしても、『悪魔と神』にしても、その反逆精神が浸透していて、それが登場人物の運命を決定づけ、作品のバランスを崩している。哲学者、小説家、戯曲家、ジャーナリスト、雑誌編集者といくつもの顔を持つサルトルは「言葉製造機」を自認している。サルトルの理論が匿名性であるとすれば、サルトル自身も匿名である。匿名には権威などない。一九六四年のノーベル文学賞辞退は権威の批判である。サルトルが生涯に渡って拒み続けたのは権威である。あの辞退はサルトル最高のアンガージュマンであり、この点で、サルトルを超えた文学者はいない。彼と並べられるのはジョージ・C・スコットくらいだろう。田中康夫は、『新・文藝時評』の中で、サルトルに影響されながら、ノーベル文学賞という「ヴァニティなもの」を辞退しない大江健三郎を「ブランド主義者」と批判している。サルトルは権威よりも、モードを選ぶ。つねに権威を拒否し、サルトルは決定不能にとどまり続けている。ハイデガーに影響されてもハイデガリアンではないし、マルクス主義を支持してもマルクス主義者でもなく、マオイストを支援してもマオイストでもない。サルトルは「同伴者」という姿勢、決定不能性では一貫している。

サルトルの亡くなった翌年の一九八一年、イエロー・マジック・オーケストラの高橋幸宏とムーンライダースの鈴木慶一はザ・ビートニクスを結成し、「実存主義(Existentialism)」をパロディ化した『出口主義(Exitentialism)』を発表しているが、彼らは最良のサルトルの読者である。と言うのも、サルトルはマスメディアとポップ・カルチャーを具現した知識人だからである。

 

It’s getting very crowded

And I need a breath of air

The door is open, it’s tome to go

But my legs feel like led

 

My shoes are glued down

On a one way street

A ring road full of sheep

Leading to square one

 

An open invitation

No reason to refuse

It seemed like fun, now I want to run

Is there no way out here?

 

Jokes for conversation

How much is there to lose

Before this party drives me mad

I’d like to disappear

 

If we wait long enough

We must come round again

To where we come in

That’s where I get off

 

(Pas de sortie-c’est un cul de sac)

(No way out-this is cul de sac)

(Deguchi nashi-fukurokoji nan desu)

(The Beatniks “No Way Out”)

 

 サルトルの作品を読むにはこうしたユーモアが必要である。自らに逆らって考えることを実践したサルトルは決して思想上の指導者、権威ではない。アンドレ・グリュックスマンは、『歴史への責任』の中で、サルトルが「私が自分のことを考え直す時にもってするユーモアをもって私の作品を読んで欲しい」と訴えていると説明している。サルトルは権威への異議申し立てが権威を強化するだけだと気づいたとき、最終的にそれを浪費する方向へ転換している。時代に悪乗りしつつ、社会に向かって叫び続け、旺盛な野次馬根性を発揮し、あたふたと生きる。「サルトル」は、現代の問題意識に則って、読む必要がある。『いま、希望とは』は『いま、サルトルとは』と読み替えなければならない。メディアがことのほか好きで、頼まれれば、嫌とは言えず、女性にはからっきし弱い。おっちょこちょいで、自分への批判には聞く耳を持たないくせに、いつの間にか、意見を変えている。脂っこい料理を好み、向精神薬と睡眠薬を常用し、煙草を手放せず、アルコールに溺れる。そして、何よりも自由でありたいと願っている。「しかし、サルトルは──デリダですらそうだと話していましたが──われわれの多くにとっては、単に学問的であるだけではない種類の哲学的言語との最初の出会いだったのです。ですから、サルトルが、専門的な哲学書である『想像力』、『存在と無』といった著作を書く一方で、同時に文学批評家であり、政治的なことがらに対しても強烈な見解を述べるということは──哲学における何か神話的な双頭の抵抗者であることは──強烈な魅力をもっていました。私の世代の者でこの魅力を克服した者はいないと思います。われわれはみな何とかしてそのようになりたい。このような考え方を克服するのにはほぼ全生涯を要します。また、バタイユのような、サルトルの場合よりも政治との関係が(彼らがとても政治的であるという理由から)複雑で入りくんでいる人々が魅力をもつのは、それがサルトルのはなやかな存在感のもつ明白な魅力に対抗するひとつの道だったからです。サルトルほどでないにしてもカミュも同様の存在でしたが、しかし、哲学者であると同時に積極的にアンガージュする政治的人間という意味では何といってもサルトルでした。しかし、彼に対する信頼はかなり早く失われてしまいます。思うにそれは、文学、哲学両面におけるサルトルの仕事が明らかにもっているある弱点から来るのでしょう」(ポール・ド・マン『ポール・ド・マンとの対話』)C’est Jean-Paul Sartre !

えのきどいちろうは、『とんちのきいた男』において、現代では「正しさ」や「立派さ」以上に、「とんち」が必要だと次のように述べている。

 

これは従来、僕が持っていた言葉で言うとファインプレーのことです。ファインプレーはいつもアテにしているところがある。僕は、うっかり出た力も自分の力、ということで平均点を算出しているんですね。日々どうやってうっかりすることに賭けていると言っていい。「この文章の、ここのところにファインプレーが欲しい」、とか、「この話をするんだったらいきなり冒頭からファインプレーで始めたい」とか。

 ファインプレーという言葉は身体性のイメージがあるから好きなんですが、とんちにはそういう瞬発力が秘められていますね。思考のジャンプ。発想の人間風車。やけに腑に落ちる感触があったんですよ。自分はこの先、とんちを鍛え上げていけばいいんじゃないか。

 

 僕が今までつまらないと思ってたものは全部とんちがきいていなかった。形勢逆転への意欲が感じられない。自分だけのバネがない。「何かあった時」というのは、謎や問題や困難でしょう。謎や問題や困難に直面してどう対処するかというのは、まぁ、生きてゆくことです。そのとき踏み出してゆくアクションにとんちがきいてないのだったら、結局、何にもならないじゃないかと思う。

ここで連想するのは「立派」と「正しい」のことです。皆、「立派」と「正しい」には本当に弱くてせっかくの「何かあった時」にそっちを選んでしまう。「立派」と「正しい」の誘惑は相当なものですよ。とんちがきいてない大半はそこで負けている。「立派」と「正しい」はろくなもんじゃないです。そんなもんは自分の外側探したって絶対にない。

 

僕だって自分の信じる「立派」や「正しい」がないわけじゃないけど、それはとんちをきかせ倒して生き抜いた先に、何とも言えない表情で橋にペンキを塗っている人が出迎えてくれたようなもんです。ペンキ屋です。橋の真ん中ペンキ塗りたてです。

 

 サルトルは、確かに、「とんちのきいた男」である。従来のラディカリズムには「とんち」がきいていない。サルトルの「意図」のラディカリズムは「とんち」のラディカリズムである。提案は社会から好ましい存在として認知され続けてもらうための「意図」があると見られかねない。それを避けるには、ソリトンのような「とんち」をきかせるほかない。サルトルは、最終的に、『いま、希望とは』によって、それを免れている。友愛は「正しさ」や「立派さ」ではなく、「とんち」を倫理とした関係である。『いま、希望とは』は「アクセサリー的」な「ひそかな自己表現」としての実存、つまり「とんちのきいた」実存を選ぶことのサルトルの明確な表明である。ソリトンのような「とんち」を放つとき、誰もがサルトル、「サルトル」というユビキタスな集団的匿名になる。「彼は知っている。彼の追いつめられた様子は自分らしくないと。彼は自分が何と思っても、勝ったのだということを知っている。そして彼が私たちのものであることも」(サルトル『絶対の探求』)

 

ソ、ソ、ソクラテスか、プラトンか

ニ、ニ、ニーチェかサルトルか

みーんな悩んで大きくなった。

(大きいわ、大物よ)

俺もお前も大物だあ。

(野坂昭如『サントリー・ゴールド』)

〈了〉

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